2014年4月 2日 (水)

せせらぎの音なら癒されるかも

水ぬるむ、雪解けの春。

せせらぎの音が心地よい。
先日散歩していたら、小さなせせらぎを見つけた。

何ともこころ和むので、スマホで録音。
アプリは「PCM録音」。操作は実に簡単。[録音]ボタンを押すだけ。

2か所見つけたので、30秒ずつ録音した。

お裾分けとブログにアップしようとしたら、1MB以下の制限があり、
やむなく、10秒にカット。

ダウンロードしたら、リピート再生で繰り返し聴いてみてください。

4月 2, 2014 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月17日 (金)

20まで数えるストレッチ

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またまたカタカナ語。体操で済むものを「ストレッチ」とは? とお嘆きの貴兄、貴女。ごもっとも。足を伸ばしたり、腕を曲げたりする「軽体操」です、ストレッチって。

アスレチッククラブ(体操教室)のチラシをもらってきたと笑みを浮かべる彼女に、どれどれと顔を出す。

両手を組んで上に伸ばす。急に動かさないでゆっくり。20数えるのがポイントらしい。少しずつ上に伸ばしていく。10も数えれば十分と諦めてしまった。きっと20数えられないのは、せっかちの証明。腕を前から背中に回し、20。逆の腕でまた20。

ラジオ体操だって、せいぜい8つ。20まで耐えきれない。10でOKなどといい加減なもの。すると、体操した気がしない。やはり、20まで耐えながら伸ばすと違うのかもしれない。我慢強くなり、精神的に強くなる。

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ケシ
アフロヘアって、昔あった。チリチリ頭。そんな感じの赤いケシ。

6月 17, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月23日 (土)

肩こりに磁気ネックレス

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50肩はとっくに卒業しているはずなのに、肩こりは相変わらず。
姿勢正しく、胸張り、肩を落とそうと努めているが、机に座るだけの仕事ゆえ、どうしても肩が凝る。

以前は、エレキバンを左右に2つずつ肩に張っていた。けっこう効くが、お金がかかる。1週間もしないうちにはがれてしまう。粘着テープだけなら100円ショップで売っていると、かなり前に聞いていた。ガムテープのようで、製品とは質が異なるらしい。粘着テープは買わずに、毎回新品を張っていた。もったいないので10日近く張ることもあった。

毎日のことだから、困ったもの。ときどきわざと張らずに、肩の回復力に賭けた。慣れてしまうと効力が失われそうで、ボーとしていても我慢することもある。

テレビで磁気ネックレスの宣伝を見た。以前、著名人が効くと雑誌で語っていたので、さもありなんと納得。

薬局チェーン店で探してみたが、その店にはなく諦めていた。ほかの用事で入った薬局にあった。ものは試しと散財。「ピップマグネループ」

ネックレスなんて着けたこともないが、バスケ選手が着けていてちょっとおしゃれ! と気になっていた。着けると、何となく肩が重い。まだ慣れないためだろう。効いているのかもしれない。

はじめの1~2日は、肩が少し重い気がする。数日経つと、着けていることを忘れる。肩も楽になる。確かに効果はありそうだ。このまま何ヶ月、何年持つか、試して見る。

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クサボケ(バラ科)

名前で損しているような花。花びらを大きく広げ、太陽の光を浴びている。

4月 23, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 8日 (土)

右手は冷たいのは心臓から遠いせい?

Nigaoe_19 帰りの電車から降りるとき、手もみをしていた。昔の商売人が店頭でよくやるような仕草。癖になっていたが、よく観察すると、右手の甲が左手より冷たい。1度ぐらい違うかもしれない。

心臓から遠いほど体温が下がるから、右手が冷たいのは納得できるが、いままでもあまり意識していなかった。階段をのぼりながら手もみをすると、だいぶ温まり忘れてしまう。きっと冬になったから温度差に気がついたのだろう。これまでだって手もみしていたはず。

温かい方が血の巡りが良い、と解釈してみよう。交差神経で右脳が左脳より巡りが良いはずだが、これが常態なので特筆することはないが、右手と左手で温度が異なるのは、外部温度との影響もあるから、何か面白い変調が出てくるか? いまのところ、手もみだけだが。

1月 8, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年11月26日 (金)

オフィスにゆったり漂う二胡

Nigaoe_14 知り合いから音楽CDが届いたので、さっそくオフィスで流してみた。おはこの「荒城の月」から始まり、子守歌や五番街のマリーなど、ゆったりとした大陸が浮かび上がる二胡の音楽が広がる。

オフィスに入ってきたスタッフは、どこから流れているのか訝しげに探る。いつもJWAVEが流れているので、別方向から流れる二胡に何事と驚いているんだろう。

以前カセットでお送りいただき、オフィスのラジカセは、カセットをセットしてもウンともスンともいわず、家のラジカセで聴いた。何とかデジタル化しようとしていたが、超多忙で余裕がなく忘れていた。

女子十二楽坊も流して聴いたが、二胡だけというのは初めて。中華料理店でゆったりしている気分、とスタッフの声。音楽ひとつでオフィスの雰囲気が変わる。

ちなみになぜ「荒城の月」がおはこかといえば、楽譜を暗記している限られた1曲だから。小学生時代、縦笛を覚えたとき、この曲を繰り返し練習した。楽器があると、必ずこの曲だけは何とかなる。その曲がトップ。嬉しいものです。

11月 26, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月18日 (日)

猫カフェ

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都会は人が多く、慌ただしい。ストレスが溜まる。酒を飲んだり、温泉に入ったり、お菓子を食べまくったりと、ストレス解消の方法もたくさんある。

だいぶ前から猫ブログが流行しているようで、画面の猫ちゃんを見て、いやされる~、と騒いでいるようだ。猫好きには溜まらないらしい。

藁葺きの爺さんの家にいた、三毛猫。掘りごたつに入り、熱くて足をずらしたりすると、温かく柔らかいものに足が触れ、ビックリして足を引っ込めた。ヌーと動く。猫だ。ときどき、うるさいなあ~、とコタツから出てどこかに行く。長廊下や玄関の引き戸の隅が四角くくりぬかれていた。猫が当たり前のように抜けていた。冬は風邪が抜けて寒い。

猫に相手にされることもなかったし、相手もしなかった。相手にする方法を知らない。きっと小さい頃、その猫と喧嘩でもしたのか。

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都会の真ん中にある猫カフェ。いかがわしいホテル街の一角にあるが、表通りに面している。3階に上がると、受付で説明を受ける。猫かわいがり、注意などの説明。部屋に入ると、まず手洗い、アルコール消毒。荷物も必要なもの以外は、袋に入れられる。

癒される雰囲気の部屋で、壁もソフトな感じ。猫の写真が張ってある。猫は14匹。いかにも高級猫そうで、人間なんて相手にしないという感じ。

猫好きかどうかわかるのだろう、寄ってくる猫はいない。こちらから近づくと逃げられる。追い駆けっこするつもりはないが、部屋の雰囲気になごんでくる。仕事でもなければ、のんびり寝ていたい。食事の時間になる。1匹に1つのお椀。食事はそれぞれ違うようだ。14匹が横に並ぶ姿は壮観。食事とわかると、全員出てくる。こんなにいたものかとビックリ。

4月 18, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 3日 (土)

嫌われる去りゆくもの

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なくてはならないものや、成長には欠かせないもの、生きていくのに大切なものって、数多くある。生死に直接関わらなくても、なくては困る。ところが、あることを機会に去らざるを得ない。去ってしまうと、手のひらを返したように嫌われてしまい、ゴミ同然、あるいはそれ以下の扱いを受ける。

何とも不条理な話。

悲しいものである。

それほど毛嫌いしなくてもよいだろう。惨い扱いをするものだ。人間は自分勝手とはいえ、あまりに酷い。

ツメが伸びたら、爪切りでカット。爪切りからこぼれたり飛んで部屋に散ったりした切片。あー、汚い。触るのも汚らわし、とティッシュで摘み取る。あっちで切ってよ。外にして! 爪切り、事務所でやるんですか? いろいろとクレームが出る。

そのツメ、ご存じですか。いままであなたの体の一部で、大切にしていたものでしょう。ものをつかんだり、本をめくったり……。ツメがないなどと考えられないのに、いったん切り落としたら、不潔と顔をそむける。あまりでしょう。ネイルアートとまで騒がれるツメ。先を切っただけの、ほんの一部でしょう、あなたの体の。

髪の毛だって、そう。頭に生えているときは、きれいに櫛を通し、ブラシで整え、ドライヤーでセットする。シャンプーだって香料を気にしたり、泡立ちに注意したり……。いろいろと手を入れてオシャレに飾るのに、抜けたら、なによ! 汚い! と掃除機で吸い取る。指でつかみ取ることもしない。いままで頭を飾っていた髪でしょう。自然に抜けただけでしょう。床に落ちたものが汚いわけない!

4月 3, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月30日 (火)

むず痒い背中のおでき

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先々週あたりから右脇腹がときどき痛む。罰が当たった。久し振りの風呂掃除で筋肉痛になったのだ。そのうち痛みもとれる。もう歳だから、すぐに痛みがなくならない身。

だましだまし我慢していたが、いっこうに治る気配がない。ぶよっと膨らんだ腹を押しても、特に痛い個所があるわけではないが、ときに鈍痛。何か変!!

背中がむず痒い。鏡で見ると、赤いものが2個所。以前、背中に脂肪の塊ができ、搾り取ってもらった。またか? でも膨れあがっているようではない。おできのよう。背中のニキビか。ニキビが出るくらい若いってことか。でも背中に?

おできもそのうち治るだろう、と高を括っていた。ときどき痛む。ズキンズキン。遂にギブアップ。病院へ。

予約の電話を入れる。呼び出し音が鳴りしばらくして、女性の声。予約はいりません。午後4時から7時においでください。籠もった声で、高齢な感じ。不安が高じてネットで調べる、「○○病院 クチコミ」。特に話題になるような書き込みはない。医者はどうも高齢のよう。近いから行くことに。

住宅街に瀟洒な病院。玄関を入る。受付の前で、おばあさんが話し中。話が終わるまで座って待つことに。低い声で話す。聴き取りにくいが、終わる気配がない。受付の中の女性と話している様子。もちろん、顔は見えない。病院だからいろいろな話があるのだろう。患者だって聴きたいことが山ほどある。看護士だって、細かい注意もある。お互いに理解できないまま離れるわけにはいかないだろう。話が延々と続く。

杖をついたおじいさんが玄関から入ってくる。廊下を渡り、手すりにつかまりながら2階に上がる。もしかしてこの病院は入院できるのか。見舞客か?

しばらくすると、中年の男性が入ってくる。すでに何回か来ているのか。受付に何か渡す。診療カードのようだ。相変わらず二人の話がひそひそと続く。あらっ、抜かされたようだ。

診察室から出てきたおじいさんが「こんにちは」と階段に向かう。やはり手すりをしっかりつかまりながら2階に。診察を終えた患者さんか。ちょっと態度が違う。医者か? 受付では話が中断。済みません、初診なんですが。やっと声をかけられた。保険証をお出しください。はい。どこが? 背中におできが……。座ってお待ちください。……。声には出せないが、すでに充分待っている。

先ほどのおばあさんが、また話し始める。先ほど出て行ったおじいさんが階段を降りてくる。診察室に入る。もしかして医者? かなりの高齢。中年の男性が呼ばれる。しばらくすると出てくる。この人、抜いてしまった。

やっと呼ばれて診察室に入る。かなりの高齢。話ができるのだろうか? どこが? 背中を見せる。それほど酷くなっていないから、薬で大丈夫。はい。帰ろうとしたが、腹も痛いと尋ねる。腹にも回ったのでしょう。脂肪では? おできをひっかいて病原菌が入ったのでしょう。背中なので手が回らないのですが……。??

何とか会話が成立し、薬をもらう。会社に戻って、さっそくネットで薬をチェック。高い薬。ジェネリック薬もあるようだ。でもおできには効きそう。やっと安心。

3月 30, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月26日 (金)

わかれ歌にみる温暖化

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高校までいた仙台の桜は、ゴールデンウィーク前の4月中旬から下旬あたりが開花~満開。東京に出てきて4月上旬なのに気が付いたのは、娘の入学式。小学校の校庭に桜の古木があり、体育館から校庭に出たら、桜吹雪だった。妹弟をジャングルジムで遊ばせながら、美しい! とカメラに収めた記憶が鮮烈。

桜の開花が早まり、最近東京は3月末がほとんど。今年も3月22日。温暖化の影響だろう。満開は4月になることもあるが、年々早まっているような気がする。

桜が舞うシーンは入学祝いにピッタリだが、卒業祝いには季節的に合わないだろう。桜吹雪の中、卒業式や新しい旅立ちは、絵的にはあるけど現実的ではない。

3月は卒業シーズンということもあり、わかれ歌がヒットする。わかれと旅立ちが哀愁を醸し出すが、そこに桜が語られるようになったのは、ここ10年ということか。詳しく調べていないが、最近の3月わかれ歌は、桜が定番。センテンスを彩るのに、桜舞い散るシーンがよく登場する。どう考えても卒業式に桜はないでしょう。もちろんそのような地域もあるのかもしれないが……。

わかれ歌は、桜の開花より早く温暖化の影響を受けていたということか。現実より早く、頭の中が温暖化しているのか?!

3月 26, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 8日 (金)

土左衛門にご注意! お風呂ダイエット

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最近、健康志向ややせ願望が高じて、さまざまなダイエット方法が話題に上っている。豆腐ダイエット、納豆ダイエット、草食ダイエット、ウエスト測定ダイエット……。ダイエットするのは大変。

毎日2食なのでダイエットするには、体を動かすしかない。夜中1時過ぎに昼食兼夕食兼夜食を食べる。お腹が膨れる。食事を摂るとすぐお風呂。湯船に浸かり、頭を湯船に付け、足を伸ばすと、お腹が大きくなっている。若干メタボ気味のお腹がさらに膨れている。いま食事したばかりだから当然。

そこで、水圧を利用してお腹を膨らませたりへこましたり……。これがかなりお腹に効く。消化が進んでいるのかもしれない。そんな風呂遊びで温まっていると、つい長風呂に。疲れてお風呂で寝ることはないが、このお風呂ダイエット、結構疲れる。頭だけで浮いているので、お湯も揺れる。

ついつい頑張っているうち、お湯を吸収して体全体がふやけてしまいそう。水ぶくれ。このまま寝てしまったら、土左衛門。お風呂ダイエットは若干危険?!

1月 8, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (4)

2009年6月16日 (火)

没我の数学的世界

学問的な数学の世界に身を置いたことがなく、受験数学の話なので、きっと数学の世界とはいえないだろう。受験数学では解答があり、解ければ100点、解けなければ0点とシンプルな構造だ。解くための過程が、受験数学の世界といえる。この過程は出題者との闘いなのだが、ひとり悦に入ってその世界で格闘してしまう摩訶不思議な世界でもある。

Nigaoe_05 この世界では、自分のさまざまな考え方を試す。自分の解き方=考え方を試しては捨て、ほかの方法を試して解答する。いろいろと試すうちに、この世界にドップリ浸り、ほかの世界が消えてしまう。没我の境地に至る。解答し、この世界から解放されると、何とも甘美な世界だったと懐かしくなる。

受験数学に限らず、美術や音楽などもそのような世界を創ってしまう。この甘美な世界が自分の時間にあることが溜まらなく嬉しかった。知らぬ間に数時間過ぎ去ってしまう。現実の時間から逃れてしまったような気分にすらなる。ひとり別世界を旅している気分になる。

6月 16, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土)

固定観念

歩数計は、動いているものに着けないと計測できないと決めてかかっていた。ズボンの内ポケットに入れておかないと、歩数が測れないはず。内ポケットで少し膨らんだ歩数計は、デスクワークには少々邪魔。内股付近の感触がもっこりして変。余り気にしないとはいえ、ズボンがポケット部分の生地が伸びる。

オフィス内は1000歩程度と分かったので、バッグに入れることに。外に出るとき、バッグを必ず持つようにすれば済む。以前は、どこに行くにも手ぶらを自慢していたが、デジカメやiPodなど小物をポケットに入れて持ち歩くのが面倒になり、いつもバッグを持ち歩くことにして数年。最近は老眼鏡も仲間入り。

バックの中でも歩数が測れるのには、驚き。ほとんど以前と変わりない。ポケットなら歩くたびに動くが、バッグは肩掛けだったり手持ちだったりするから、動いていないと思い込んでいた。しっかり歩数を計測している。肩にかけていても動きはあるわけだが、体にしっかり着いているので、歩数を計測するには不安定だろう。そんなことはなかった。

まだ10000万歩になっていない。8500歩が最高。普段は3000~4000歩。歩数を意識しても、生活に変化がないのだから、歩数も変わるわけがない。目標を立てても動く余裕がない。困ったものだ。

3月 28, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月21日 (土)

歩数計 ~続き~

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また測り始めた。家に帰って、さて今日の歩数は? なんと2807歩。少な~い。もう少しあるだろう。器械は間違いないはず。変!?

翌日も、2764。

思い出した。この歩数計は、0時にリセットされ、1週間分メモリーに残る。オフィスを出てから帰宅するまでの歩数を見ていたのだ。行きはその日、帰りは翌日に記録される。まあ、帰りと行きを記録されているわけだから、同じようなものかと諦めた。朝ポケットに入れるときすでに3000歩弱。違和感がジワーと広がる。

時刻を変えてみることにした。3時間前にセットすれば、夜中3時が0時になる。いつも電車だから遅くとも2時前に帰宅する。家の中では歩数計を着けていないから、こんなものでいいだろう。

毎日5000歩弱。往復で4000歩弱。オフィス内で1000歩弱。ものの見事に、同じような歩数が続く。いかに規則正しい(?)生活を送っていることか。打ち合わせに出たら、8500歩に伸びた。少しは運動したか。

どこまで続くか。飽きやすい性格ゆえ、そのうち忘れてしまうかもしれない。

きょうの「今日のひとこと 明日の元気」は、

  案外、答えは素敵な人が持ってくるかも

でした。
待ち人来たらず、もあるかな。

悠気奏「今日のひとこと 明日の元気」
http://www.cosmomedy.com/

携帯版「今日のひとこと 明日の元気」
http://www.cosmomedy.com/kotoba/7/7/data/hitokoto-k.php

3月 21, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月20日 (金)

歩数計

数年前、健康保険組合からいつもの目薬や歯磨きといっしょに歩数計が届いた。組合員全員に配付。歩数計を付けるのも相当覚悟がいるはず。歩いて健康に気をつけ、病院のお世話にならないように、との配慮だろう。

さっそく使ってみたが、飽きっぽい性格ゆえ、数週間で腕時計置き場に放りっぱなし。毎日健康に気を使うことができない。

寂しそうな姿に、ふと手に取って見た。案の定、電池切れ。数年使っていないから、無駄かもと覚悟しつつも、コンビニに電池を持っていく。これと同じかな? と店員さんに声掛けて渡す。家で確認してきた型式。老眼でよく見えないだけど……。店員さん、2人がかりで銀色のボタン電池を見て、大きさが同じだから大丈夫でしょう、と相成る。

年寄り、老眼、と話すと必ず配慮してくれる。いい身分になったものだ。以前は、その言葉、自分を老けさせるから使わない方がいいよ、と話していた。自分でも使わないようにしていたが、逆手に取って人様の優しさに甘えるのも手、と味をしめた。

歩数計に電池をセットしたら、動きはじめ、時間をきいている。続けて体重、歩幅。すっかり忘れている歩幅。確か70cmぐらいだろうと適当に入れる。歩いて測ってみたが、分からない分からない、と計測を断念。1mはないだろうし、いくら短足とはいえ50cmはないだろう。

3月 20, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月13日 (金)

行き違い

健康診断で撮影した過去のレントゲンフィルムを持参するようにいわれ、3年前のフィルムを健康保険組合に手配していた。折り曲げ禁止の大判。朝の満員電車じゃ人迷惑かなとかなり悩んだ。タクシーで持ち運ぶ方がよいかな……。結構な金額。馬鹿臭い。電車なら300円。タクシーなら2000円超。

帰りの電車も混むが、人迷惑を顧みず持ち帰り、朝、意を決して電車に。通勤急行がたまたま来る。きっと相当の込み具合と覚悟したら、意外やそれほどでもない。とにかく平板で大きいフィルム。段ボールでしっかり固定されているので持ちにくい。

何とか病院に時間ギリギリで辿り着く。診察室に入り、フィルムを渡す。2年分は年末に消化器内科で渡してある。ここに少し影がありますね。消化器内科から残りを取り寄せますので、しばらくお待ちください。えー、手配してなかったの。しょうがないなあ。

呼び戻され、実はあったはずのフィルムは健康保険組合に戻してしまったとのこと。先週お願いしたから、本当に行き違い。でも、前回来たときに手配していれば戻らなくても済んだのに……。

いずれにしても次回CT撮りましょう。若干のいらだちを押さえて、フィルムを見る装置をじっと見る。フィルムをはさむところに細いひもが通っている。左右で動かせそう。フィルムをはさんだとき、邪魔になりそう。何に使うのか。黙ってみているのを不審に思ったのか、どうしましたか? そのひも、何に? フィルムを押さえるため……と動かしてみせる。なるほど。でも、持ってきたフィルム、ピンとなっており挟んだら押さえなどなくても済みそう。これまでも役に立ったところを見た試しがない。

帰り道、ふと思い立った。折り曲げないが、丸めることがある。丸まったものを押さえるには役立つ。きっと筒に入れて持ち運ぶ人がいるのだ。大判をそのまま持ち運ぶのは持ちにくいが、筒ならたやすい。フィルムの持ち運びに便利な筒。これって結構商売になる? いや、フィルムを運ぶ人って多くない。そのためにわざわざ買うこともないだろう。レンタルなら? 無理だろう。ちょっと我慢すれば済む。惜しいなあ~。

きょうの「今日のひとこと 明日の元気」は、

  友人を、天気に例えてみると、こころおどる

でした。
こりゃ、笑うに笑えない。晴れと雨とか曇天、雨のち晴れとか、もう少し気の効いたことばにならないものかな。まだまだこなれていない。

悠気奏「今日のひとこと 明日の元気」
http://www.cosmomedy.com/

携帯版「今日のひとこと 明日の元気」
http://www.cosmomedy.com/kotoba/7/7/data/hitokoto-k.php

3月 13, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月28日 (土)

呼吸器内科

大変込み合います。初診では予約もできないのです。早めに来てください。

消化器内科から勧められ、原因・症状不明のリンパ管肥大を解明すべく、出かけてみた。といっても朝は、いつもと同じ時間に起床。

初診ですが、と総合受付。しばらくお待ちください。ここでは、大した時間がかからないはずとベンチで待つ。いつもより少ない。なかなか声がかからない。20分ほど待った頃、やっと呼び出し。問診票に書き入れ、2F北ブロック受付へどうぞ。どれほど待っているか不安なまま、エレベーターで呼吸器内科受付へ。

意外と少ない。南側の消化器内科には、あふれるほどの人。きっとひとりあたりの時間がかかるのだろうと、問診票を受付に渡してトイレに。どうせだいぶ待つのだから。

小用を済ませ、さて、文庫本でも……とバッグを開けると、自分の受付番号が点滅。えっ、もう出番ですか。中の待合いに移り、少し待って診察室に入る。

牛乳瓶のフタのような分厚い眼鏡をかけた医者。あまり目を開かない。目から表情が読めないうえ、正面向いて話しをしない。いたいた! 斜に構えた医者。正面から見据えないが、診察は確かという医者の見本かな、と値踏み。

語ることばが少ない。リンパ管に変化があったのは、いつ頃? 初診ということあり、事情聴取と相成る。昨年末にレントゲンフィルムを持ってきたはずだが、引き継いでいないらしい。消化器内科の医師は、連絡しておきます、といっていた。この病院で検査・診察した結果のみで、フィルムはどこかにいった様子。以前のフィルムを見て、経過を知りたいと、以前の健診フィルムを持参するように、と次回予約。土曜日はダメなんです。困ったな、性がない、先生に合わせます。と木曜日に決める。

これから胸の痛みをこの医者に預けるのかと不安もよぎる。もちろん、自覚症状はないが……。きっとこころの病も治療してくれるだろう。朴訥な感じだから。

2月 28, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月26日 (木)

ことば遊び

ちょっと悩んでしまうことが多い。悩んでも仕方のないことなのだが、やはり頭を抱えてしまう。

そんな日々が続くとき、ふとっ何気ないことばが笑いを誘う。可笑しくてつい微笑んでしまう。重い気分が軽くなる。

ことばって、そんな気分を軽くしてくれる。ことばの力とは、すごい。と同時にその程度の悩みだったということも確か。

そんなことばが回りに結構ある。何も探さなくても、そのときにフィットする嬉しいことばが身近にある。

名句でなくてもかまわない。自分の気分にあう、そのときに気分が新たになることば。そんなものがあれば、とふとっ思ってしまう。

2月 26, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

ストレスは体に毒

昨年12月の健康診断以来、検査に次ぐ検査。
結局、わからず仕舞い。一番心配だった癌はない。
逆流性食道炎は石灰化しているが、リンパ管には影響していない様子。薬を2倍にすることになった。逆流性食道炎は、薬を服用していれば直るらしい。10年以上患っているから、珍しいケースらしい。経過観察と相成る。

結核もないリンパ管の症状は、呼吸器内科ではじめからやり直し。

この間、煙草がよくないといわれ、1か月ほど禁煙。
仕事がはかどらない、と勝手に診断。結構ストレスが溜まる。1日10本程度だから、たいしたことではないが、やはりストレスは体に毒。ということで、禁煙解除。

それほど吸っていないので、本数もさらに少なくなるはずと、またまた勝手な言い訳。

2月 1, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月30日 (金)

超音波内視鏡検査(EUS)

胃カメラが入らず、軽微カメラ(「鼻カメラ」と勝手に名付け)で食道、胃、十二指腸を検査してきたが、遂に超音波内視鏡検査(EUS)に至る。

麻酔で寝ているからわかりませんよ、と軽さを強調される。以前別の病院で勧められたことがあるが、脳が停止してしまうのが恐ろしいのと、危険だとかいう記事を読んだかで、拒否。以降、その病院での検査はやめてしまった。内視鏡検査の先生は真剣に訴えるんだが、あれだけの苦しさを睡眠薬で誤魔化しても体に悪影響が残ると危惧していた。

今月、CT、PET、EUSと三度目。慣れたもの。慣れが怖いんで、初心者心を忘れず、はいはい、と素直に従う。受付が済んでしばらく待つと、麻酔のうがいをしてから、検査室へ。いつもより広い胃カメラ検査室。看護士が準備しつつ、声をかける。ちょうどいい。痛くないんですか? 寝てしまいますから……。お酒は強い方ですか。いやいや、弱いです。きのうは飲みましたが、ふだんは飲んでいません。酒が強いと眠れないという人もいるらしいのですが、大丈夫ではないですか。

担当医が入ってきて、点滴を打つ。寝てしまいますからね、担当の先生に代わります。白いタートルネックが珍しい。検査の男性医師、横を向いてなどとテキパキ。いつ眠りにつくのかと気にしながら、目をつぶる。マウスピースを付けられ、テープでしっかり留める。ちょっと鼻から息するのが苦しい。前回のあの苦しさが記憶に戻ってくる。すでに喉は臨戦態勢。押し返してやろうと血気盛ん。まあ初めてのことだから、リラックスしないとまずいよ、とたしなめる。

はい、終わりました。口にあるものをティッシュに吐いてください。えっ、まったくわからなかった。終わったのがどうしてわかるのだろう。睡眠導入剤から覚醒剤に切り替えたようだ。少しボーとしているが、会話はできる。どのぐらい時間? 20分ほど……と看護士さん。だいぶ調べたのかな。

点滴を付けたまま、別室の簡易ベッドに移動。1時間ほどお休みください。気分が悪ければ、声掛けてください。何人かカーテンで区切られた簡易ベッドに寝ているよう。看護士の声が遠く、近く聞こえ、ちょっとうるさいなあ……と気にしているいつ、いつしか寝てしまった。また、看護士さんに起こされる。

頭がボーとしたまま。24時間は薬が効いているので、まとまったことができないらしい。車やバイクの運転はやめてください。はい、はい。やっとお腹が空いた。でもランチタイムはとっくに過ぎ、さてどうしたものか。

そういえば、胸の方のツベルクリン反応。結果は陰性。内科の担当医はすっかり忘れている。とにかく珍しい病気ですからね。そうですか。人と同じなら対処も楽なんですかね。はい。近い部位で2つの症状。相変わらずミステリーは続く。

1月 30, 2009 心と体 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月24日 (土)

心境複雑な診断結果

CT、PETと続けざまの検査の結果が出た。ガンではなかった。担当医が、症状とそこから類推できる病気をいろいろ探して調べた。結果は不明。

この先生、PET検査で悪性腫瘍の検査と語っていたが、紙に「癌」としっかり書く。こんなイメージとは思っていたが、「癌」という漢字は書けない。やまいだれに品に山だったのか。手書きできるとはさすが医者、と書かれた紙を見て納得。

ということで、また検査に入る。こんどは、結核。食道石灰化の症状も突き止める。2個所が相関関係はなさそうなので、単なる神のいたずらか。

1月 24, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月14日 (水)

意外なことば

ことばの面白さは、常に変化すること。

もちろん同じことばでも、状況によって意味は異なり、心に残ることがある。

ことばは、これまでの積み重ねの上に成り立っている。

ときに積み重ねで、思いのほか納得できるフレーズができていることがある。

面白さに巡りあえるかもしれない、それがことばというもの。

1月 14, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月11日 (日)

PET検査

このところ、話題は健康。よる歳には勝てない、と弱気を吐きそう。もう若くはないのよ、と諭す彼女の声に、いやいやと弱々しく抵抗。

ニュースで聞いたことがあった。前日のCT検査のあと、胃カメラまで1時間半近く空く。売店の隣の資料室に入ってみた。造影剤で頭が回転しない。小難しそうな医学文献は背表紙をボーと眺めながら歩く。

「ガン」。
壁に貼ってある文字が飛び込んできた。それがPET検査の掲示。活発なガン細胞には、ブドウ糖が集まる。これを利用して、放射線入りのブドウ糖を注入し、スキャンしてガンの有無を確かめる。何とも画期的。

医者から、明日PET検査よ、といわれても納得。検査なら何でもこい。胃カメラより苦しいものはないはず……と居直ってみた。

すごく親切で優しい。受付が済んだら、検査の紹介ビデオが流れる小部屋に案内される。見終わった頃、受付嬢が来て検査室に案内。靴をビニール袋に入れてもらい、もう病人扱い。そういえば、ここは病院だった。ほかの看護士が登場。これからの2時間を、地図とフロー図を示しながら解説。さっき見たビデオと同じ。

問診室に入り、先生と問答。ガンを探す、と明確。消化器の担当医は、悪性腫瘍と曖昧だったが、ここでははっきり「ガン」。もう気にする必要もない。放射線入りブドウ糖を注入し、1時間弱リクライニングシートに横たわる。500mlのペットボトルを一気に飲む。ブドウ糖を全身にめぐらすのに必要らしい。
新聞を読んでもダメ、体操してもダメ。ブドウ糖が目や運動した部位に集まるらしい。やや緊張している。目を閉じても寝ることもままならず、ただただアナウンスを待つだけ。

ほかの人の検査時間って、あとから気になり出すもの。
はじめのPET/CT検査。昨日と同じようにベッドに横たわる。毛布を巻かれ、ゴザを巻かれた土左衛門のよう。一度全身を上下になめ、じっとしている。
終わり? いや、きっとディスプレイで医者がチェックしているのだろう。胸当たりをもう一度撮るのかな。と、下肢の方に動く。下腹部あたりでスキャン。しばらくおいて、もう少し上でスキャン。また休んで、さらに上をスキャン。

健康診断で、腎臓ポリープと診察されていた。膀胱には、さっき飲んだお茶といっしょにブドウ糖が集まっている。小便はしたが、まだ溜まっていたか。もしかして腎臓あたりが? 食道あたりはどうなったの? 不安が湧いてくる。次々とボロが出てくるよう。弱気になる。

終わりました。お疲れ様でした。
PET/CT検査室の前のソファーに、30分ほど残る。放射線がほかの人に伝染するのを避けるため。待っている間、ほかの人が検査室に入る。意外と早い。初めての経験だから長く感じたのかも……と時計を見た。記憶に乏しいが、ほかの人の倍近く検査していたようだ。若いから当然か。ほかの人は、いっちゃ失礼だが、後期高齢者で病弱な人ばかり。若い人もいたはずだが、PET/CT検査ではなかったかもしれない。

最後に会計に。昨日のケアセンターの説明で、保険適用外で13~15万。担当医が保険適用にしたので、2.5~3万。PET検査のみと思い、2.5万だろうと覚悟していた。検査中にPET/CT検査とわかり、3万と怯えた。実際の会計では2万弱。助かった。でも、昨日のCT、胃カメラ、薬剤で、2.5万。合わせて2日で、4.5万。昨日の帰り、慌ててATMで引き出ししたから何とか払えたが、検査って金がかかるものと始めて実感。

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2009年1月10日 (土)

再びの胃カメラ

年末に、軽微胃カメラ診察が1週間早まり、CTも追加された。
サルコイードシスではなさそうと診断され、さて何? とCT検査。
軽微カメラも「胃カメラの方がはっきり分かるのよね……」と、後を引く医者の言葉。

CTは先月とほぼ同じなので、実に簡単。
問題は、軽微カメラ。受付に行くと、前回と同じように鼻への麻酔などでベッドに横になる。30分ほどで呼ばれる。

「入らなかったら、鼻から入れるので、3滴麻酔薬を入れます」
やはり、軽微カメラではなく、胃カメラだ。内部の摘出もされるはず。
マウスピースをはめられたところから地獄。
語り尽くせない。
どうも僕が意識的に拒否していると誤解している医者と看護士。
体が拒否しているからで、しかも圧縮空気で噴門部を開こうとするから。
苦しいけど、主観的には協力しようとしている。
でも、体は……。

………………
これまで、君とは友好的に付き合ってきたつもりだ。
喉を刺激し、強烈なエアーを吹き込んでくれば、
僕がすぐ反応するのは、知っていただろう。
しかも僕の逆流を押さえようと、
胃の入り口にバリケードまで作って
お互いあまり刺激を与えないように紳士協定を結んでいたはず。
君の滅茶苦茶な生活習慣に耐えるよう、検討を重ねてきたでしょう。
それを無視して攻撃を加えれば
反撃は当然です。
これまで我慢していた攻撃が一気に炸裂するから、ちょっと酷くなるよ。
食道だって、かなりの被害が出る。喉も苦しいでしょう。
食道壁を摘出したら、当然そこがターゲットだ。
………………

「あらっ、通るわよ!」
それはそうでしょう。どんなに苦しんでいるか、そばにいても無視。

「これじゃ、きょう仕事は無理ね」
「ええー」
医者の言葉に、相づちを打つ看護士の声。
確かに、「楽に! あご上げて!」などと諭され、かなり協力的とはいえ
体はこわばって抵抗していた。
「これが最後よ」と声がかかってから、長いこと長いこと。

CTで入れた造影剤で頭が少しボケーとしていた。
造影剤も頭から消え、10数分間の全身緊張バトルで肩凝りは一気に最高潮。
スーッと胃カメラが抜かれた瞬間、脱力感で固まっていた。
確かに仕事にならなかった。集中できない。

「あなたの予定に合わせるわけにはいきません。PET検査の予約を入れました」
これまでになく強い調子。ただただ頷くだけ。
「サルコイードシスの疑いも捨てきれません。眼科で検査を受けてください」
はい。検査が続く。
ボロが出そうで不安。
頑丈と自負していた体のどこそこに穴が開いて来だした。

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2008年12月29日 (月)

検査が早まる

別に1週間早めても、変わるような体ではない。まあ医者のいうことだから信じよう。特に悪いわけではないが、検査好きはやむを得ない。軽微カメラが胃カメラになるところは「食道が通りませんから」と押さえたが、CTは仕方がない。

新記録を作ったはず。これまで診察時間は、数分。変わったことはありますか? いやぁ~特に……。処方せんを印刷して、お大事に……。こんなやり取りで診察が済んでいた。今回は、レントゲン写真、CT写真、紹介状とお土産たくさん。

どうしましたか? 健康診断で引っかかりまして……。CTまで撮られる羽目に。サルコイードシスなんていわれたんですが、どうも違うようで。さっそくベッドに広げたレントゲン写真を見る。紹介状も入っていたはずですが……。大袋から探し出し、読み始め、レントゲン写真に目を移す。ほとんど会話なし。ただただ写真を何枚も引っ張り出し、見比べる。こちらは、すでに前回見ているので、何もいわれても余裕。医者の仕草を観察。

検査を早めようかしら。どう? いいですよ。CTも予約しなくちゃ。

2週間前に撮ったばかりだが、やはり検査は場所によって違うのだろう。協力しなくちゃ。電話で予約を取る。相手が違うのか、何度か電話。結局朝少し早い時間にCT、少し時間をおいて、軽微カメラ。

少しは余興も必要かと、煙草ってやっぱりまずいですかね? 食道ですからね。いけませんね。はあ~、やっぱり。少し胸がむず痒くなる。

指示を受けて、血液検査していってください。

この1か月で、なんと4回目。血が薄くなってしまうかな。

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2008年12月28日 (日)

煎餅太り

内臓脂肪を指摘され、メタボ予備軍に召集されてからは、タンブラーでお茶を飲む日々が続いている。何となくからだがひとまわり大きくなった気がする。

甘いものを控えなさいと注意された。昼食を摂らないので、夕方になると、ガス欠になる。甘いものが欲しくなる。オフィスでは人の目もあり、ときどき手にする程度で過ごす。口に入ると止まらなくなる。慌ててお茶で口の中をクリア。
夜食のあと、テーブルに載っているお菓子には我慢できない。饅頭や団子が置いてあることもある。食べて、と置いてあるのだろう。美味い。

これまで甘いものを食べていても、水分を摂っていなかったから、硬い煎餅のようだった。体が硬く、しっかりした体格。そこに4~5倍の水分が入った。水を吸って膨らんだ煎餅のよう。ふやけた体。ぼよ~ん、ぼよ~んと弾くような肉。体重も1キロほど増えたが、気持ち的には10キロ太った気になっている。体が重いということはないが、絞りきった内臓脂肪がふやけてしまったに違いない。

きっと前の方が体によかったのでは……と悩んでしまう。

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2008年12月19日 (金)

サルコイードシスではなさそう……

気:君も気を持たせるね、2回に分けて……。そんな大げさなことでもあるまいに。
元:血を見るのもダメ。テレビでも手術シーンが出たら、よそを見る。耳を塞ぐ……。とにかく、体のことはダメ。ほかの人のことなら軽口もたたけるが、自分のことはまったく臆病。勘弁してよ。

気:で、CTスキャンに余裕で出向いたわけだね。どうだった?
元:受付で、きょう結果を持って健診センターに行かなくちゃいけないと告げ、しばらく待たされた。病院は、忍耐の場所。文庫本抱えてソファーで待つ。名前を呼ばれる。はやっ。診察室に入ると、担当医が説明。丁寧だね。場合によっては、造影剤を使うかも知れないけど、アレルギーは? 特にありません。では、待合室でお待ちください、ときた。

気:いいから、どうだったの?
元:どのくらい待ったかな。本で緊張感をほぐしていた。名前呼ばれて、CTスキャンの部屋の前で待機。といっても、ほんの15歩ぐらいの場所。また待たされる。

気:そういうのって、どうでもいいから、結果は?
元:中に入って上半身下着のまま仰向けになる。簡易ベッドが動いて、ドーナッツの中に収まる。キュンキュンと、光が回るんだ。製材所、大型の電動ノコで切られている丸太のよう。2度目だが、輪切りされている。目を閉じていたが、途中からしっかり目を開き、電動ノコを見ていた。キュンキュンキューン。何とも妙な音。宇宙空間を漂っている気分。

気:わかったよ、話したいわけ。思わせぶりは君の特権だからなあ。
元:終わったかと思ったら、はっきりしないので造影剤を入れます、と声がかかる。胃のレントゲンのように、白いバリウムを飲まされるのかと喉に力を入れて覚悟したんだ。少し経つと温かくなります。気分が優れないようなら、声を掛けてください。点滴だ。実ははじめて。人の点滴は何度も見たが、自分がその立場になるとは……。右腕、2週間で3回目の注射。もう血管拒絶してしまう。うっ、徐々に温かさというかむず痒さというか、広がっていく。足まで広がり、なんとなく生温かいような……。血のめぐりってすごいスピードなんだ。心臓の拍動で流れる血は、相当早くひと巡りするんだ……。そう、でも血に混じった造影剤はどうなる? はい、終わりです。着替えて、あちらでお待ちください。

気:やっと終わったわけね。で、どうなの?
元:せっかちだね。またまた読書。名前呼ばれて、会計。結果は? しばらくお待ちください。しばらく待つと、持ってきたレントゲン写真を入れた大袋に、今日の写真と手紙が入っていた。担当医からの説明なし。そうですか、結果は健診センターの医者からということなんですか。

気:やっと、結果だね。
元:健診センターの2階受付で、名前を告げる。先日あれほど賑わっていたフロアーには職員のみ。閑散としている。白けた3階のソファーでしばらく待つ。お入りください。
ここに2個所、膨らみがあり、今年の1月より大きくなっています。CTで見ると、こことここ、ここです。いまもらってきた写真に矢印があり、変な個所がよくわかる。

気:サルコイードシスて、わけ?
元:違う。医者はそうかと思ったが、違うらしい。リンパ管にできているのでは? というんだ。逆食と関係あるかもしれない。わからない。東京女子医大の医者に、至急診てもらってください。この写真一式は持っていって。手紙も書きます。

気:なんだ、わからなかったわけね。まあ、わからない方がいいこともあるさ。体って、神秘だから。
元:年内に行くように言われたんで、さっそく予約。なんとか年末、取れた。来月には軽微カメラで診ることになっている。その前のほうがいいというんで……。

気:残念だね。白黒決着付けたかっただろうけど、時限付きの延長戦って感じかな。
元:逆食と関係がありそう、というのがね……。自然治癒しないかな?

気:またまた、すぐオーバーに考える。それが悪い。気の持ち様さ。
元:はいはい、その通りです。気を充満すべく、仕事に励みますよ。

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2008年12月17日 (水)

自覚症状

健康診断を終え、速攻でオフィスに戻る。すぐに仕事モード。ウニャウニャ……。電話、健保センターから。不安がよぎる。数年前も電話があり、精密検査を受けるように指導された。あのときと同じか。さすがに2度目。不安をかき消して、余裕ある振りで「はい」と電話に出る。心臓、ドキドキ。

看護士の声。「先生と代わりますね」。やっぱり通告だ。こんどはどこ? 胃のバリウム検査を昨年からパスしているから、胃のはずがない。逆流性食道炎って自己申告している。胃じゃないだろう。そういえば、超音波診断で胸骨の下あたりを何度も調べられた。横になって……、四つんばいになって……と何度も体を動かされた。終わってから、何かありましたか、と尋ねた。詳しい話しは先生から……。いってよおー、知ってんでしょう……と声に出るのを押し殺していた。すっかり忘れていた。

ザルコイードシスではないかと……。うまく訳せないのですが、ザルコは肉腫で、肉腫のようなものとでも訳しますか……。肺の近くに2個所、袋のようなもの、おできのようなものでしょうか。20~30代にはあるのですが、お歳がお歳なので……。自覚症状はありますか。

そんな突然。いえ特に。逆流性食道炎は、薬で抑えており何もありません。
胸あたりが痛いとか、咳が出るとか……。いえ。
CTで診てもらった方がよいでしょう。お茶の水にあるので、できるだけ早く診てもらってください。看護士に代わります。

それでは、いつがいいですか。忙しいですけど、いつでも……。それでは、こちらから予約を取って、お知らせします。はっ、はい。
電話の声は、事務所内に響き渡っているはず。仕方がない。経過報告。そんな場合じゃないのに。話しをしているうち、胸がむず痒くなる。そういえば、これか? 咳。喉が胃酸で焼けているから、咳が出るかと勝手に解釈していた。もしかしてあれか。ウッ。

予約を取りました。速達でレントゲン写真と紹介状を送ります。それを持って行ってください。終わったら、CTのフィルムを持って、こちらに来てください。受付に話しておきます。先生がお待ちしております。なんと親切。トントン拍子で決められていく。はい。有無を言わせる指示。脇腹もむず痒くなる。

ネットで検索。1件しかない。Google検索で1件は珍しい。タモリのストラップがもらえそう。違う。長音の場所が違うかと再度検索。少し増えたが、進展なし。日本語に訳せない奇病か。なんとなくそんな感じのこと、医者がいっていた。胸キュン。ムズムズ。背中もズキンズキン。いやー、またまたヒットしてしまったか、奇病。

帰りの電車で咳き込んでしまった。これか! よくあったな。もしかして……。不安が脳天を刺す。布団に入っても、どうしよう……。考えてどうなるものでもないこと、いろいろ思案。

翌日、不安ながらもう一度検索。「もしかして…サルコイードシス」とGoogle検索。クリック。出たあ~。聞き間違いか。Google検索、賢い! 難病指定だが、数年経つと自然治癒。大病になることはない。なーんだ、大したことがないのか。肺病変なら咳や呼吸苦……。ウッ、喉が……。ムズムズ……。読めば症状が……。これかな。でも自然治癒さ。ラッキー……。気持ちが軽くなる。昨日はスタッフを巻き込んでしまった。悪かったなあ~。何でもオーバーなんだから。心配かけておいて、自然治癒なんて……笑い話か。月曜は軽く足運べるか。でも、胸がむず痒い、咳も出る……。

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2008年12月13日 (土)

はじめての腹囲

1年に1回の健康診断。いつも人間ドックを追加している。今年からメタボ健診に変わった。

いつも待ち時間が多い。文庫本と眼鏡を持って、呼ばれた場所に移動。血液検査のあと、しっかり押さえてください。ハイハイ。もう今年4度目になる。慣れたもの。片手で文庫本を開き、片手で押さえる。呼ばれた。あっ! 見れば丸く青みができている。止血が上手くいかなかった。内出血しています。2週間もすれば消えます、とでっかりバンドエイドのようなものでしっかり止める。まずいまずい。

廊下で待っていると、呼ばれた。診察室に入る。上着を上げてください。腹囲を測ります。はじめての腹囲測定。81cmです。おっと予想外。そんなにあるか。85cmにはなっていないが、予定では77cm。そんなものか。ウエストサイズをまったく覚えていない。ズボンを買うときは、必ず測ってもらう。そして、忘れる。確か70台後半のはず。

少し太ったか。体重も予定より少し多い。そう、最近水分を摂るようにしていたせいだ。前に比べ数倍の水分を摂っている。水ぶくれか。体重が増えるのも困ったもの。腹囲も水ぶくれか。水分の少ない、スッキリとした体型はすでに昔話。中年体型に突入か。

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2008年12月 6日 (土)

実験台

ディスプレイを見ながら、薬飲んでもよくなっていないんですよ。
そんなことはないです。夜中目覚めることもなくなったし、もどすこともなくなりました。効いてます。
真っ赤でしょう。

何度も見た食道の噴門部の胃カメラ写真。こんなに鮮血色の美しい食道が我が体を貫通しているとは思えない。だいたい体の内部の写真って、どこかよその人のもの。親父の全摘した胃を見せられて、鶏肉だと驚いたもの。人間の内部が鶏肉と同じだった。

これっ、見てください、とパンフレットのようなものを指す。
試薬なんです。これを見たとき、○○さんにと思ったんですが……。いまの薬より強いんです。しかも1日2回……。うっ違います。朝晩飲む人、朝・就寝前飲む人、1日1回飲む人、と3パターンなんです。
忙しいでしょうが、軽微カメラ(鼻から通す小さい胃カメラ)4週ごとに2回経過観察するのですが、大丈夫ですか。

そもそも2か月に1回薬もらいに行っているだけの患者を覚えていた、というのに驚いた。その上、新薬の実験台。実験台と聞いたら、モルモットを思い出してしまった。即答を催促されているよう。いまの薬を長いこと飲んでいると、だいぶ収まるらしい。なのに医者から見れば、直っていないという思いが強いのだろう。

いつも忙しいですが、いいですよ。
胃カメラの検査料や薬代は無料です。次回、カメラで見て症状が変わらないなら試してみますか。2月、3月と、3か月連続で検査します。時間取れますか。
何とかします。

と、新薬の実験台になることに。現状のままでよく寝られるので、問題もないが、ちょっと好奇心。体が壊れることはないだろう。でも、モルモット代わりになるんだ。少しばかり心配。

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2008年12月 5日 (金)

当然、運動も勧められる!

書き忘れていた。医者も2つではなく、3つポイントを上げていた。最後のひとつが、運動。
運動ね。
いやー、忙しくて、それどころではないんです。ウオーキング、今年確か2~3回なんです。
運動がいいんですよ。
とにかく、無茶なことをいう。忙しくて休みもなく、夜遅くまで机に向かっているのに、運動などできる時間がない。

確かに内臓脂肪を燃やすなら、運動に限る。ランチを食べず、腹減らしてウオーキングすると、もの凄く燃えた感じがする。腹がへこみ、脂肪がなくなった気になる。家に着く前に腹ぺこでヘトヘトになる。この感じが堪らない。ラリッた感じ。キューとビールを喉に通すと、ペタッとした腹が生き返る。この一瞬楽しみに、水分を摂らずに歩く。

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2008年12月 4日 (木)

逆流食道炎と内臓脂肪

先月末、2か月ぶりに病院。逆流性食道炎の薬が8週分しかもらえないので、2か月に1度顔を出す。
どうですか、調子は?
ええ、変わりありませんけど。
ディスプレイを見たまま、内臓脂肪が多いですねぇ。
えっ? すっかり忘れていた。何の話からか、前回血液検査を受けることになった。いや、前々回の血液検査の結果を追いかけるためだったか。その結果を見ているのだ。
メタボ予備軍ですね。
腹囲85cmはないはず。なのに、流行りのメタボですか。予備軍だから、まあ大したことはないか。

甘いものはいけません。
大の甘党。大好物を召し上げる。そんな殺生な……。
それと水分を摂ってください。
これも苦手。喉の渇きという代物を知らない。ラクダのように飲まなくても過ごせる。それにしても、血液検査結果だけを見て、人の食生活を当てる。以前話したかな。そんなこと覚えているのか。2か月に一度の患者。たくさんの患者に埋もれて、名前も覚えていないはずと高を括っていた。覚えているのか、内臓脂肪の多い、メタボ予備軍の一般的な見解なのか。

ということで、甘味を控えることに相成る。寝る前の特濃ミルクをやめる。でも、夜食のあとの大福やお菓子は、昼控えている分、増えてしまう。菓子パンがいけないと諭され、カレーパン、砂糖をいっぱいまぶしたあんパンは控えてみる。きっとそのうち、あの味を忘れられず復活するに決まっている。いまは少しだけ辛抱。

水分を摂るのは大変。何しろ水分口にする必要がないから。
普段使っていたコーヒーカップから、長めの保温性マグカップに切り替えてみた。気合いが肝心。約2倍入る。それを1日2~3杯、飲むことに。暑くてフウフウいいながらチビチビ飲み、冷めたらグビグビ。おかげで通じが楽になった気がする。これもいつまで持つかは、神のみぞ知る。

そんな日々を過ごしながら、なんで? と首をひねる。胃腸科で内臓脂肪の多さから、メタボ診断。逆流性食道炎と内臓脂肪は関係あり? 内臓脂肪が増えると、胃酸が逆流しやすくなるのか? 相関関係に悩みながら、ちょっと節制してみようかと。きっと2か月も持つとは思えないが。
今回も血液検査を受けたので、次回、また注意されるかもしれない。

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2008年10月17日 (金)

ときどき開いてしまう玉手箱

普段歳のことなど意識したことがない。何十年にわたって同じようにドタバタしている。ドジの連続だし、いつもアホなことばかり。特に体が重くなったとか、鈍ったとかいう感じもしない。体型もほぼ同じだ。走ればいつもと同じように咄嗟の勢いで抜けていく。慌ただしさはいつもだ。流行りは変わるが、こちらは変わらない。1日は相変わらず短く、やりたいことはたくさんある。いつも果たせないが、またぞろ挑戦。そんな繰り返しの連続。

いつも一兵卒。わあわあ騒いではね回っている。誰かがたしなめる。はい、はい、とうなずくが、反省などどこ吹く風。神妙にしているが、その場限り。やんちゃといえば可愛いが、無茶苦茶。そんな訳わからずの世界を漂流。30代後半、1人立ちしても責任感という言葉が馴染まない。若いとも思っていない。当然と言いつのっていた。その感じをそのまま、ここに至っている。いい加減な性格のままだ。

ふと思い起こさせることがある。人様のところにお邪魔すると、何と恐ろしや。同じ年頃の人がいない。自分がどうも一番老けているようなのだ。自分の姿を見ることなどめったにないから、比較できないが、かなり老けている。周りはみんな若そうな雰囲気。歳と思われる人がいない。

若い頃から老けて見られていた。なぜ老けて見えるのか、わからない。同級生と大学の下見に行ったとき。ビラ配っている人から、君たち受験生? あなたはお兄さん? と別扱いだった。それ以降、少しばかり歳を意識してみた。顔が古典的。着ているものが地味。話してみるとおじさんぽい。ちょっと抜けた感じ。ボーとしている。外見だけじゃなく、言葉遣いから、中味まで同年代よりは年とって見えるようだった。異彩かまっていなかったが……。

周りに気が付くことなどほとんどないが、話しているうち、ふと、あれ、トップじゃないと唖然とすることがある。どこに行ってしまったのだろう。周りは若い人ばかり。これって、歳を意識しはじめたってことなのだろう。十代、歳を意識しはじめたときのように。意識の変わりはじめ、という年頃になったということかな。きっと、そんなことすぐ忘れてしまうだろうが……。

10月 17, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月30日 (火)

水で1kg

夜中0時を過ぎていた。何とか目途がたって、いざインターネットディスクにアップロード。接続できない。おかしい! メールはどう? ダメ! つながらない。おかしい。最近、接続がいまひとつ変。ルーターの電源を切って、再度立ち上げ直し。これで回復することが多い。どう? やっぱりダメ。何度か試しているうちに、思い出した。だいぶ前、サーバーメンテナンスのお知らせ。確か夜中0時から、とか。関係ないと削除してしまった。きっとそう、メンテナンス。接続できないわけだ。仕方がない、帰るか。すでに終電は過ぎている。タクシーか。しかも明日早く来ないと、届かない。待っている相手に失礼。

翌日早めに出てきてアップ。快調にできた。やっぱりメンテナンスだった。さて調べものと、ホームページを開こうとすると、まただ、接続できない。もう、こんどは明らかにメンテナンスではない。ルーターか。買い替えたルーターの調子がいまいち悪い。もしかしてハブか。ちっとも進まない。ときどき開くが、しばらくするとスピードダウン。そのうち開かなくなる。これでは埒があかない。やめ、やめっ! パソコンショップに相談ついでに、事務所を出る。

まだ昼間。ショップで相談するにも、何とも愛きょうなし。また明日か。それにしてもこんな時間から空いてしまった。何する? 休みなく忙殺された頭や体をリフレッシュ。温泉にでも行くか。前回場所がわからなくてやめた温泉に挑戦。

岩盤浴なら、こちらの値段です。前回はためらった。今回は挑戦。岩盤浴に入る前に、体を洗ってください。岩盤浴のあと、体を流すと効果が薄れます。なるほどそういうものか。さっそく時間の予約。1時間ほどサウナと浴槽で汗を流す。体重は、65.1kg。食べていないのに1kgほど増えている。菓子パンのせいか。普段64kgで、ベストを63kgと決めていた。2kgも増えている。岩盤浴はダイエットにも効くと効能書き。なら、1kgぐらいやせるだろう。汗をふいて、いざ、岩盤浴へ。

たくさん汗をかきますので、水分をよく摂ってください。本当なら水分なしで頑張って、ビールと思っていた。それなら我慢か。黒い石にバスタオルを敷いて横になる。15分1回ほど休憩に外に出てください。なるほど。横になったら寝てしまった。ほかの人が起きた音で目が覚め、あわてて外に。20分を過ぎていた。なるほど喉が渇いた。ここは水分補給。ペットボトルを買って飲む。たくさん飲んだ方がいいはず。グビグビと調子に乗って飲む。さて、また岩盤浴。15分でまた、外に。グビグビ。空になったので、飲用水を詰め込んむ。グビグビ。また部屋に。出てきてうっすらと汗をかいている。喉が渇く。またグビグビ。お腹がいっぱい。もう飲めない。やっと1時間、岩盤浴を終えた。お腹が苦しい。着替えのついでに体重計に。何とダイエットのはずが66.1kg。1kgも増えている! 水の飲み過ぎだ。ダイエットどころじゃない。パンパンのお腹を抱えてビールも飲めず、ボーとした体のまま退散と相成った。

9月 30, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月27日 (土)

血が白い!

血が白いですね。

椅子に座るやいなや、降ってきた想像を絶する言葉。なに、それって? 思いついたのが、バリウム飲んだ後の便の色。異常な色の便には、いつもショック。あの人工的な白さが、血が白いということ? そんなものが体を流れている? 気色悪い。顔色だって白くなり、体も白くなる? うーん、赤い血が白くなると、どうなるのか。

いや、違う。血が白くなるわけがない。なら、なに? 白血病か。なったことはないが、白いと書く。血液のガンとも呼ばれる病気。その昔、白血病の患者と医者だったか恋物語が流行ったことがある。確か、映画か、小説。血の白さに似合う美形の女優が主人公だったか。いや、白血病ということはないだろう。なんといっても、体だけは丈夫。ほかに取り柄はない。なのに血が白い……。

前回の検査で、肝臓を中心に調べましたが、結果は取り立てて問題なかったのです。

やっと話しが見えてきた。そういえば、2か月前、血液検査を受けていた。その結果だ。

でも、血が白い、と……。コレステロールが多いと白くなるんです。何か、思い当たる節は?

えー、健康診断でも、生活習慣病と出ています。

でしょう。それでは、きょうもう一度検査しましょう。

うーん。
血をケチるつもりはないが、血が白いとわかっていたのなら、ついでにコレステロールも調べてくれればいいのに……。まあ、仕方がない。こんな風にして、検査、検査、精密検査……と続くのだろう。

きっと水分が足りないから、血が濃くなるのだろう。コレステロールも溜まりやすくなるのかも……。もう少し水分を摂るようになれば、検査値が改善するはず。今回も抜き打ちだから、検査値が悪くても仕方がないだろう。どうせ生活習慣病対策を勧められるはず。日々の食事や運動……。いや、知ってはいても思うに任せない日々なんです、努力します、という回答で決着か。

9月 27, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月28日 (月)

血液検査

2か月ぶりの定期診断。2か月分しか薬を処方できないため、行くしかない。薬を処方してもらうだけだが、医者も問屋は卸さない。どうですか。特に変わったことはありません。そうですか。毎回来てもらって……健康診断って受けてます? ええ!? (だって、健康診断で紹介状もらってこちらに来たんじゃないですか、お忘れでしょうね……などとはいえない。) どうでした? はい、血液検査で肝臓が3Bと出ました。それはいけませんね。それでは、血液検査をしましょう。いえ、大丈夫ですよ。毎年じゃなくて、ときどきそんなわけのわからない結果が出るんです。その前は、Aでした。いけません! 検査します。え~っ、するんですか~。胃や食道と違って、肝臓はほかの臓器に影響があるんです。はあ~、厳しいんですね。はいっ。

やむなく地下の検査室で血液検査。きっとしなくてもいいのだろうが、処方だけでは申し訳ないと、探りを入れたら引っかかった、というのが流れ。まあ同じような結果しか出ないだろうが、受けてみる。前にも1度やっている。検査の後ろをベルトコンベヤーのように血液が入った試験管が運ばれていく。持ち上げるとき、一度はさみ離して2度目で持ち上げて、別のルートに移る。面白い仕草に、これってどうなっているんですか? この子たち、かわいいでしょう。あの口から検査室に入るんです。新鮮なうちに検査できるんです。なるほど、はい。

7月 28, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 5日 (土)

ピンクリボン・チャリティーと想像力の定位

あるとき彼女が乳のしこりを気にしていたことがある。乳ガンのパンフレットもあった。なっていないことを祈っているが、想像力に欠ける者ゆえ、何をどう言葉にしていいかわからなかった。乳ガンになったらどうしよう、どうなるのだろう、と想像しても、生活の核が異常事態になった場合の対策など考えつかない。まあ、何とかなるさ。いい加減なもの。自分に胃ガンの心配があったら、こんな調子ではないだろうに……。

とはいえ、心配している人のことに思いを馳せることはできる。具体的な心配や危惧、不安までは至らなくても、想像することはできる。その立場にならなくても相手の思いをある程度想像できる。嫌な思いはしたくないだろう。苦しいかもしれない。気分転換に何ができるのだろう……。立場は違えど、想像することで相手に負担を掛けないようにすることだってできるかもしれない。

言葉や写真など、情報を伝えようとする手段にはいろいろあっていいだろう。想像力に訴え、思いを共有(?)できるかもしれないと発信する。発信された情報がどのように想像力を掻き立てるかは、発信者を超えてしまうとはいえ、想定しておく必要がある。特にマスメディアを介して情報を発信するものにとって。そこに想像力の定位と広がりがあるはず。人の痛みを体験できなくても、想像することで相手に疑似共感することはできる。

知り合いが、乳ガン撲滅チャリティーのあり方に抗議している。意志を発信することって、大変なこと。義憤だけなら一過性かもしれないが、言葉にして発信している。この重みに想像をめぐらしてみる。彼女たちの提起したことに定位することで、見えてくる世界がある。想像力に乏しくても、人の痛みに思いを馳せることはできる。想像力こそコミュニケーションの広がりを作るのであれば、定位できる想像力を広げてみたいものだ。

『グラマラス』の乳がん撲滅チャリティ・ヌードに抗議する会
http://www.ne.jp/asahi/call-for-pink-charity-accountability/2008/index.html

7月 5, 2008 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年7月 4日 (金)

低周波治療器

超多忙な日々の連続で肩凝りが酷かった。50肩のころのようなパンパンの張りこそないが、肩筋、首筋、背筋が張っていた。少し頭痛もしていたが、これは遅筆のせい。みんなに迷惑をかけているわけだから、頭痛ぐらい起きて当然。「時の部屋」に隠れて4倍速の時空間でも偏頭痛は起きる。

2か月ほど遅れの誕生日プレゼントの1つが低周波治療器。両肩にペタッと貼り、スイッチを入れると、肩がピクピクと動いたり、ドッド、ドッドと叩いたり、ギューギューと揉む。15分限定で済む。足首などの疲れにも使える。とにかく肩凝りが激しいので、さっそく試してみた。

1日目は、緊張してかえって肩凝りが酷くなったかと、2日目も続けてみた。風呂上がり。効果はてきめんだろう……。肩凝りは少しやわらいだ気がする。ところが、頭が少し変。なにしろほかのことをシャットアウトして、仕事に集中してきた、長いこと。おかげで日常的なことは考えないで済む。異常な思考パターンで数ヶ月過ごしていた。もちろん異常事態。こんな中では頭もある個所しか使っていないだろう。低周波治療器の微弱電流が頭もかすめるのか、集中していた思考が緩んでしまう。なるほど肩凝りだけでなく、思考も軟化させるのかと納得した。でも軟化した頭では作業が進まない。硬めにギューと絞り込まないと、知恵も出てこない。頭の凝りをやわらげると仕事にならない。

異常事態が終わるまで、いつものようにエレキバンで肩凝りを治すことにした。こんど使うときは、頭を刺激して思考が柔らかくなり、考えが広がるような使い方をしてみることにした。

7月 4, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

火を吐くドラゴン

まーさんのリクエストに応えて、またまた逆流性食道炎。

人によって症状が違うということが、ぼくにもわかってきました。胃酸が逆流するわけだから、食道が焼け、のど元が焦げ付き、似たような症状になるものと決め込んでいました。ぼくも当初は昼日中の食事後でも胸焼けがありましたが、これが人がいう胸焼けかと勘違いしていたわけで、実際は結構前からあったような気がします。勘違いしていたのでしょう。体には結構自信を持っており、ちょっとのことでは倒れない自信が妙にありました。寝ていて攻撃に晒されてから意識するようになりました。健康診断で胃カメラを勧められ、飲んでも入らない、噴門部が狭い、という診断を受け、逆流性食道炎となった次第です。いたって自覚のない患者なわけです。

診断されてからも、あまり意識しないことにしていました。意識すると、寝た子を起こすように、胃酸がムズムズと活動する感じがして気持ちがよくなかったので、胃酸のことは無視して考えないことにしていました。胃はとっても敏感ですから、意識すると、俺様のことかい? と身を乗り出すように、噴門部をさかのぼって食道まで達してしまいます。いやいや、君のことじゃないよ。ゆっくりお休み、となだめています。胃酸を刺激しないように、出そうなときはわざとほかのことを考えたりします。考えることはたくさんあり、布団から起き出して寒い中、明日のことや自分のアホさ加減など、とにかく胃酸とは関係ないことでじっとしています。そのうち収まるはずで、それまでは我慢しかないですから。

ずぼらな性格からネットから情報を仕入れたりすることは、ほとんどありませんでした。血を見るだけで気持ち悪くなる性格ゆえ、人の経験談は読めません。テレビで手術のシーンが出たり、気が出る話を聴くだけで胸がムズムズするので、ほかの人の経験は刺激を増すだけだと決めてかかっていました。医者に相談すると、牛乳飲め、横むいて寝ろ、と言われましたが、牛乳は欠かさないものの、横向きの就寝はダメ。直立不動ではないが、体をまっすぐにして上を向いて寝るのが癖なので、対応できず仕舞い。医者のいうことは適当に聞いていました。経験談は参考になるかもしれないけど、読むだけで気持ち悪くなるのは必定。

ぼくの場合は、とにかくずぼらな性格ゆえ、胃酸を刺激しないように、胃に向く考えはできるだけ避けています。以前は、胃の中に火を吐くドラゴンが住んでいると思っていて、ドラゴンを刺激すると、食道まで登って、ハアーっと火を吐くと思っていました。ドラゴンをなだめないと火炎が喉を焼き、ヒリヒリする。そのうち本当に自分の口から火を吐いてしまうのでは……と恐れたことがありました。なのでとにかく胃酸を刺激しないことだけ考えていました。

まあ、今日はこんなところでしょうか。

4月 25, 2008 心と体 | | コメント (7) | トラックバック (0)

2008年3月22日 (土)

何が失語を招くのか

気:なにしていたわけ? この間、言葉がなかったけど……。
元:特に何があるわけじゃないけど……。

気:いや、1か月以上の失語には意味があるよ。一時の迷いだって、それなりの言葉があるのに、口しかない君が話せなくなるとは、世界の異常を物語っている。この間の株安、ドル安だって、関係あるんじゃないの? そもそも言葉の使い方が下手な割りに上手に語ろうなんて欲張っていること自体が、君の弱さを露わにしているわけだけどね……。
元:なに、勝手に解釈しているの。単に忙しかったからってことなんだよ。

気:ほらっ、シラを切っている。忙しいといって誤魔化せるのは、忙しさを知らない人だけだよ。忙しいなんて口実にもならないことぐらい、実はよく知っているはずなのに……。だいたい君は、なにかほかのことを出して言いつのる癖があるよね。的外れでも強引だから、人にはごもっともな言葉として一瞬の勢いを感じさせるけど、それってほんの瞬きほどの時間。すぐ化けの皮がはがれてしまう。そんな言葉使いのウソ八百に呆れていたけどね。
元:とにかく忙しくてね……。

気:だから、忙しいって、繁忙期の枕詞でしょう。それだけではなにも意味を持っていないわけじゃないか。下に続く言葉が、枕詞を豊饒な意味と広がりを持たせるわけで……。なので、忙しい、忙しい、と叫んでみても、なに語っているか不明、ってわけじゃないか。枕詞に続くことばは?
元:だから、仕事が……。でも、単に仕事が立て込んでいただけで、いろいろいうね。君こそ訳わからずの唐変木のようなものじゃないか。

気:ほらほら、また逃げている。枕詞のあとの主語は、さらに続くことばがあって意味を成すのに、言い訳のように仕事だ、ビジネスだ、時間がない……。都合のよい、誰ものが勝手に想像して幕を引かせる決め文句を矢継ぎ早に出せば、納得すると思っているのかい? そうは問屋が卸しはしませんよ。
元:勝手な想像でしょう、それって。逃げているわけじゃないよ。

気:つまりね、忙しさに隠れて言葉を失っていた君がいるってことでしょう。違うの?
元:別に普段に話していたけど……。失語状態とはいえないよ。
ところで、君って、勘ぐりが過ぎるのではないかい?

気:いや、ことばの有り様に意味があるわけでしょう。その有り様を消してしまうことには。実は大きな意味があるってこと。忙しさの裏で進行している失語の事態とは、いかん?
元:なにが、いかん? だね。理由なんてないね。単に忙しいだけなのに……。でも言葉がある、ないという事態そのものに意味があるということはわかるけど、勝手に意味を付かないで欲しいね、ゲスの勘ぐりと同じでしょう。

3月 22, 2008 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月19日 (土)

講師合宿

「電車に座っていて、目の前にお年寄りが来たとき、席を譲るか?」
初期おそらく、2回目か3回目の「夏の学校」の講師合宿の討議テーマだった。講師とは、子ども約10人の班につく大人。大半が学生アルバイト。夏の学校の主旨、スケジュール、現場などを確認するのに1泊2日の予定で行われるのが講師合宿。お互いの顔見せと同時に、講師が何を考えているかの探りを入れるもの。教研側からの説明のあと、フリートーキングになり、上記のテーマをダシに話しを聞いたり、突っ込んだり……。

話しは、譲る、状況次第、譲らない……など、いろいろと尽きない。民宿の迷惑を顧みず、朝方まで続いた。
だが、いま話題にするのは、ここでの話の中身ではない。このテーマで議論しようとした教研の有り様である。

この話題は、なんといっても唐突。教研自身、答えなど想定していない。良心的な学生や真面目な活動家といえば、高尚な理論に傾倒しがち。日常的な対応とは別世界に学生活動がある。理論闘争に昇華しがちな学生ゆえ、マナーや規則などを話題にすることは少ない。個人的な対応の問題と片付けてしまう。トータルなテーマを追求する思想とは別世界にある個人的な倫理と思われがち。そこに思想の馬脚が現れる、と踏んでいる。確かに話しの中で突っ込まれるのは、個人的な対応で済まそうと逃げ腰の講師だった。席を譲る・譲らないの個人的な対応を問いただしながら、個人的な見解と逃げようなら、個人的な問題ではない、その有り様が問題なのだ、といいたいのが教研。居直りという最後っぺができない真面目さゆえ、個人的では済まなくなる。

学生運動が下火になったとはいえ、まだ余韻が残る中、ぼくを含め、思想や哲学などに身を委ねる傾向が支配していた。運動中、きっとマナーや規則を話題にすることが少なかったはずの活動家。実際の闘争には、定刻主義などと叫ばれるように、個人的な問題がたくさんあったが、主題ではない。そんな彼らが、墓穴を掘ることもいとわず提起したのが日常的な思想。政治や学問の思想などと分けて語る有り様を批判しようとしていたのだろう。頭を垂れて日常に戻った中で、異彩を放っていた。考える基盤は日常にあるのに、日常から昇華した議論を再構築しようという野心的な企てだった。もちろん、ここには毛沢東主義が影響している。玉砕をいとわなかった彼らの憤りは、日常とか思想とか政治とかの有り様から再構築しようとしていたのだろう。

このことに驚き、シンパシーを抱いてしまった、というのが初発のモチーフ。徐々にこの考え方に違和感を抱くことにもなるが、基本的な考え方には賛同していた。新しいものを構築するという勢いを感じたし、その勢いを我がものにしたいと思っていた、のだろう。
思想とか倫理とかと括って語るには、まだまだ充分な総括ができない。が、初期教研の有り様から、つまり日常とか非日常などと語られたテーマから、世の中を再構築しようとした企てが見えてくるような気がする。反は、その内的論理だけでなく、外的構造でも、真である。

1月 19, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月12日 (土)

豚体、4キロオーバー

正月明けの健康診断ゆえ、少しは増えていると危惧していた。4キロオーバーとは、さすがに豚体。内臓脂肪が増え、ベルトが少し苦しいと穴を1つ緩めていた。正月食っちゃ寝の生活がすぐに体に現れるデリケートなお年頃。普段63~64キロを維持していたが、68.1キロ。昨夜はトイレが詰まるほど、出すもの出して迎えたのに効果がなかった。
身長も縮んでいる。髪の毛が薄くなったからとこじつけ。

新しい健康保険組合のビル。検査装置もおニュー。心拍や視力、胸部X線など、測るたびに聞いてみた。電圧をかけているんですか? いえ、心臓の脈拍の伝わり方を各部位で測定しているのです。かなりあっちこっち調べていたし、同じところを何度も測定していた。どうなんですか? 前回より悪いということではないです。詳しくは先生から……。その点はいつも同じ返事。今回はじめて胃のバリウム検査をやめた。先月胃カメラ飲んでいる。バリウムだとすぐゲップして、2杯目、3杯目とおかわりが来る。食道が緩いので、どうしても抜ける。胃カメラではきれいだったから、食道を除けば問題なし……のはず。

視力検査には驚いた。右0.8、左1.0。当てずっぽとはいえ、かなりの視力。視界が明るいのではっきりするが、もう少し暗くなるとてきめん見えなくなる。視力が落ちているとガッカリしていたから、明るければまだまだ眼鏡の助けを借りなくても済むということ。でも、世界はまだまだ明るくない。世界を明るくすれば、視界がはっきりするという話しだろう。

食道を除けば、いたって健康体。健康診断で指摘されることはない。体重を少し落とすのが課題か。

1月 12, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

アレルギー性鼻炎

ところは、西日が差すとあるマンション。
恒例の新年会。
5階のベランダ越しに晴れ渡った風景が広がる。
富士山が西日を受けてクッキリ映し出される。
オレンジ色が刻々と変わる絶景を背に、テーブルを前にワイワイと語っていた。
暖房が不要な部屋で、背中に西日を浴び、暖かいものだとむずがっていた。
と、突然、ハクショーン。
出たーあぁ。鼻水が出る。
慌ててテッシュを取り出す。プシーン。
ハッ、ハックションー。まただ。もう止まらない。
テッシュ箱のある棚の脇に移り、体制を整える。またもや、ハクショーン。
ティッシュとハクションの繰り返し。
同席の人からは、会話ぶちこわしの顰蹙の目。
かぜ? と声がかかる。いやいや。
背中が温かくなり、鼻が面している部屋との温度差で、鼻が過敏に反応しただけ。
家でも掃除していたら、埃にまみれてクシャミが止まらなかった。
この季節、乾燥しているところに、鼻に刺激があると、クシャミ・鼻水が止まらなくなる。こんな症状を知らない人には、人迷惑と煙たがられ、大げさと蔑まされる。
ハクションが大きいのは、クシャミを鼻から出さないため。鼻からのクシャミは、さらに鼻を刺激し、鼻水グジュグジュと相成る。
口から出すと水しぶきを大量に飛ばしてしまうが、鼻ズルズルよりはマシと取得した技。いっとき止まらない。本当にはた迷惑である。鼻の少し上を少しつまんで、空気の通りを良くしながらじっと待機。
しばらくすると、クシャミの間隔が伸び、そのうち何もなかったかのように収まる。
ところかまわず出るハクション。失礼とは思いつつ、収まるまではご勘弁。

1月 7, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年12月20日 (木)

肩張り、痛いわ

寒くなると、肩がすぼむ。とにかく寒いのは大嫌い。知らぬ間に肩が上がっている。外から暖かい部屋に入ると、途端に肩がすぼんでいるのがわかる。ふうーと肩の力を抜く。しばらくすると、肩の居心地が悪くなり、肩を回す。肩凝りだ。グルグル回すが、抜けない。

その上、冬の乾燥が始末に悪い。乾燥すると、皮膚から水分が蒸発。カサカサになる。柔肌が鮫肌になる。皮膚が干からび、縮む。肩の周りの皮膚も縮む。肩の皮膚が突っ張り、さらに肩凝り。手や首、顔は外界にもろ出し。晒しているから感想も激しい。

凝ると、自然に動かしている。痛い。コリコリ、ボキボキ。痛いが、何度も続ける。ときに肩揉むと、ガチガチ。筋が固まってつかめない。思いっ切りつまむ。痛い! イタタタタアー。仕方なし。風呂で揉むのが一番。毎日毎日の肩凝りでパンパン。痛いの何のってありゃしない。本当に、片腹痛いわ。

12月 20, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月15日 (土)

成人

君が生まれても、半年もつか危ぶまれていた。
新しい世界で羽ばたくには、あまりに短い。
無謀な中で生を得たのに、何とかなると楽観的だった。
世間を知らないとは、強いもの。

周りの温かい声援で、窮地を脱した君は
紆余曲折を経ながらも、逞しくなってきた。
目の前の瑣事に追われていたぼくは
君の苦しみに気づかず、
慌てて脱皮させることになった。
呪縛から解き放されたような安堵感に浸っていた君。

小さい頃は、具合が優れないこともあった。
ぼくの神様が何度も何度も訪れ、
おのれの回復力を信ぜよ、と諭していた。
その期を過ぎ、虚弱から伸び盛りに一転すると
日に日に大きくなり、風貌も凛々しくなった。
その姿は恐れ多く、仰ぎ見ることも憚れるよう。
大きくなれば、視線も高くなり、
風切って突き進む姿には、
後光がさしているようだった。

成長期を過ぎても、
まだまだ伸びると疑っていなかった。
大人の装いを真似る君は
見知らぬ新しい世界に興味津々。
早熟で大人の世界を知れば
自分に幻滅するだけと悟った頃、
君も変調していた。

傲慢なほどのプライドにあえぎ、
意気消沈した君は
早すぎるほど大人びた顔に変わっていた。
訳知り顔してだんまりを決め込む君。
その姿には、大人の哀愁が漂っていた。

でも、やっと成人。
大人振っていても、ようやく成人。

生まれた頃を想えば、恐れるに足りず。
知ってしまったと嘆く大人の世界って、
まだまだ未知のおかしさに溢れているはず。
面白さが苦しさを伴うってことを知ったのなら
幾重にも楽しめるのが、大人の世界。
抱え込んだなどと構えず
新しい大人の世界に旅立ってみようか。

おめでとう、20歳。

12月 15, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 3日 (土)

メタボリックシンドローム

ウエストが男性なら85cm以上、女性なら90cm以上だと予備軍といわれるメタボリックシンドローム(メタボ)。内臓脂肪が付いた肥満の人が、高血圧や高脂血症などになり、結果いろいろな病気にかかりやすくなる、ということ。

ウエストなんて覚えていない。計るチャンスは、ズボンを買うとき。ズボンなんて数年に1回くらいしか買わない。前回は買ったのは、おそらく紳士服の青山で夏物のズボンを買ったとき2~3年前。いつも忘れているから、買うときに計ってもらう。おそらく85cmには達していないはず。腹の出っ張り具合から察するに、そのあたり。

普段の食生活からすると、腹が出るはずがない。ろくに食べていないから。腹が出てくるのは、肉が落ちてきて腹にたまっているだけ。体重が変わっていない。緊張感をなくした肉が重力に抵抗できず、地面に引きずり込まれている、という印象か。

いまでも19年前のズボンをはいている。息子が生まれたときに着るものがなく、彼女の両親の家に子どもともどもお世話になっていたとき。同じものばかり着ていると、さすが無頓着な僕でも気になって、3世代そろって買い出しに出た。商店街にある大衆的紳士服専門店。ちょうどいまの季節。このズボンをはくたびに、20年近くウエストが変わらない、体型が変わらない、と喜んでいる。とにかく安くできている。20年近く前のズボンをはける人はそう多くはないはず。特に中年太りの年頃。体型が変わらないから服を買わない、買わないから無粋……この循環で数十年過ごしてきた。

で、ウエストが85cm以上になることはないはず。なら、メタボにはならない?

11月 3, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年8月20日 (月)

仲好しになれない胃酸

処方の胃酸中和剤、切れてしまった。万が一に備えて2錠残したが、緊急時に飲むつもりでいた。寝る前にミルクキャンデーなめたり、牛乳飲んだり……。以前と同じように、胃酸をなだめるように配慮。でも、約10か月、押さえ込まれていた胃酸の恨みは、怖ろしい。というより、忘れかけていた記憶が蘇り、構えてしまったのだろう。
安眠を妨げ、喉攻撃。仕方なく、市販の中和剤を飲む。強力な中和剤には観念していたが、柔な市販薬では蹴散らしてしまう。あまり効かない。しばらく体を起こし、体を動かして凝った肩や背筋をほぐす。意識を食道や喉からずらし、眠気が来るのを待つ。何度か試す。吐き気を催したら、トレイに一目散。胃に残っていないときは、胃酸のみで済む。残っていると、辛い。

日中、体を起こしているときも攻撃の手を緩めない。体を起こしているのだから、大人しくしてよ、となだめても無駄。堪えていたものを爆発。元来食べないから、胃酸を刺激しないのだが、何か口にすると、寝た子を起こしたように騒ぎ出す。

仲好しにはなれないとと観念。病院に電話。先生からの処方箋が必要なので、予約を! と。処方箋だけなら、ほかの医者でもOKとのこと。さっそく保険証とカードを持って、処方箋をもらいに。何のことはない。夜勤明けのような髭もじゃの若い医者が2~3話をしたら、処方箋をくれた。やっとひと安心。

8月 20, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月13日 (月)

内憂外患

猛暑日が続く。日中は冷房が効いたオフィスなので、気にすることはない。夜の睡眠。クーラーを止め、窓全開で扇風機。急に暑くなったことも手伝って、体が対応しない。布団の上であっちこっちと寝返り。3分で入眠できるはずが、ぐずぐず。しかも昼間体を動かしていないので、肩や首筋が凝った感じになる。気にし出すと、揉んでもダメ。

夜の暑さに慣れたとはいえ、断続的な睡眠で、日中もフッと意識が途切れる。おっと、居眠りか。集中力が続かない。夏は嫌いじゃないが、今年は少し変。

珍しく夏バテか、と疑った。どうも食欲がない。正しくは、食べる前は食欲あるが、食べている途中で満腹でもないのに、ギブアップ。残してしまう。もったいないと箸を進めようとするが、口が動かない。どうも体の中心、腹に力が入らない。水分摂りすぎていることもない。どちらかというと、水分を摂っていない。人並みに夏バテか、と苦笑いしていたら、思い至った。

胃酸の逆襲。処方してもらっていた薬、寝る前に噛み砕くだけで、安眠が保証されていた。どうも、1日近く効果があったようだ。毎日服用していると、気が付かなかったが、ここのところ、胃酸と仲よくと、飲んでいなかった。もう2粒しかないので、緊急時用に確保。薬から解放された胃酸が、朝、昼、夜、ところかまわず、立ったり上体を起こしているときも襲撃。そうりゃ、そうだろう。約1年間、押さえ込まれていたのだ。反動があって当然か。仲よし、などという勝手な思惑を吹き飛ばしてくれる。

リバウンドはきっと長続きしない。もう少ししたら、慣れるはず。それまで柔な市販の中和剤で誤魔化そう。でも、苦しいかも。保険証とカード持って、病院に行くか。腹に力が入らないまま、しばし決断を伸ばそう。

8月 13, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月 2日 (木)

胃酸と仲良くしなくちゃ

医者から処方されている胃酸中和剤。慣れるのが怖かった。以前もらっていた薬もよく効いた。でも、飲み忘れた夜、胃酸の逆襲で目を覚める。激しい反撃。堪らず布団から起き上がって、胃酸を胃に下げていた。荒れた食道から火を噴いたよう。胃酸の逆襲が強まっていた気がする。さらに強い薬と抗争を繰り返すのはまずい。効き目が弱い、市販の薬の方で騙し騙し胃酸と仲良くするに限る、と決め込んで医者から離れた。

今回処方された薬は、噛み砕くだけ。しかも甘い。飲むと、胃酸の逆襲はない。睡眠を妨げられることがない。昨年の9月から助かっていた。でも不安は付きもの。胃酸もバカじゃない。幽門部だって、少しずつ崩れるはず。もっと強い薬を、となるかもしれない。ほどほどがいいのでは、と懸念していた。できれば、飲まないで過ごす方法は……。
きっと潜在的に薬に対する不安感があったのだろう。なくても市販の薬で、胃酸と仲良くすれば……。

2か月1回の病院。胃の中は太鼓判を押されていた。幽門部が焼けただれ、すき間から胃酸が逆流して食道を焼く。これだけが当面の症状。調子はいかがですか。はい、薬で助かっています。では、また2か月分の薬を出しましょう。病院に行けば、数分で処方箋もらってお仕舞い。すっかり慣れてしまっていた。

先日、病院へ。カードを読み込むと、保険証を受付にお出しください、と表示された。また、忘れてしまった。思いつきもしなかった。前回も何とかなったからと、受付へ。保険証お持ちですか。忘れてしまいました。隣のベテランに声をかける受付嬢。ベテラン、前々回以来確認できないので、今回は全額お払いください。えっ、前回もお願いしたので、今回も……。そうはいきません。では、何か方法はないですか。きょうは土曜なので健康保険組合も休みでしょう。確認する方法がありません。きちっとした受け答え。当然だろう。全額といっても大した金額ではない。薬の含めると1万ちょっとのはず。ただ、返却の手続きなど煩わしさが頭に浮かぶ。いちいち面倒。わかりました。忘れてきたのが悪いのですから、きょうは受診しません。受付嬢、ちょっと驚き、手続きすれば戻るのですから……。いえ、忘れたのは僕です。健康保険証がないとダメなら、帰ります、と手を伸ばす。カードを受け取って、病院を出る。

薬は助かるが、前の状態に戻っただけ。胃はきれいだとわかっただけでも成果。なら、またときどき市販薬で、胃酸を騙し騙ししながらの生活に戻るだけ。寝付けなくなることもあるかもしれない。まあ覚悟か。

8月 2, 2007 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月19日 (木)

足指体操

子ども時代の大便。時間を持て余して仕方がなかった。和式便所で用が済むまで、じっとしゃがんでいられない。尻拭き用に切り刻まれた新聞紙を読むほどませてもおらず、とにかく暇。

学校で、手の中指と薬指を自在に離す技が流行っていた。できなかったので、便所はトレーニングの場になった。片方の指で中指を押さえ、薬指を動かす。毎日の特訓で薬指が自由に動くようになり、また暇に。そこで、次に足の指。特に、足の小指が自由に動かない。薬指にくっついて離れない。和式なので、足を床にしっかり付けている。足を踏ん張り、小指を手で離したりくっつけたり……。だいぶ時間がかかったが、特訓が奏功して足の小指が動くようになった。見せびらかしたもの。

一度動かせるようになった足の指は、年が経っても動く。洗面台の前で歯磨きをしたり、整髪したりしているとき、癖で爪先立ちになっている。ついでだからと、そのまま、足の指を動かしてみる。爪先立ちだけでも不安定。さらに小指や親指を広げたり……。バランスを取るのが難しい。でも、背筋が伸び、末端が動くので、いい体操になる。激しい運動とはいかないが、少しだけ下半身を動かした気分。前屈みでガラガラ、ペッも、フラフラしそうになるのをしっかり押さえたまま。自然と膝も使うことになる。朝の足指体操、健康にいいかも。

7月 19, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月19日 (火)

昭和レトロ

高校の頃、バスケットクラブを辞めるとき、先輩に言われた。苦しくとも、思い出になると、いい思い出になる。だから、頑張れ。一理あるはず。でも、これまでそのような経験はない。苦々しいことは、いつまで苦しい記憶としてしか残らない。いい思い出は、いつまでもいい思い出。悪いものは、いつまで悪い。

経験とは、そのようなもの。昭和レトロのネタに表現しようとする。もちろん苦々しいことは出さない。いい思い出を記憶の底から引っ張り出し、再構成する。確かに何となく懐かしくもある。

その記憶を綴ると、違う。同じ年代でも捉え方が違う。そうなんだ、記憶を再構成するときに、やはり欠落する部分と自分勝手な部分が知らぬ間に出ている。意識したのは、人と語ってみると、違いがよくわかる。

昭和レトロなんて好きじゃなかったが、そう思っている自分とは別に懐かしさがあったのだろう。それに気づいたのは、相手がまったく違う思い出を持っていること。当たり前の話。生まれ育ちが違うのだから。にもかかわらず、ある時代を共有していると錯覚すること。なるほど、昭和レトロとは、あったはずと勘違いしている幻想。それが共有しているという錯覚。二重に屈折した鏡の世界の向こうに築かれた世界。鏡が曇ってしまうと、描かれた世界は自分を越えた別世界。昭和レトロとは、鏡の向こうに作られた共有していると思っている世界。懐かしさは、言語表現を勝ち取ったこと。フィルターで漉された、新しい自分の世界なのだろう。

6月 19, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月30日 (月)

ブログ的日常

気:ゴールデンウィークが始まったけど、どう?
元:相変わらずさ。ドタバタ続きの上、先方さんにも事情ありだから……

気:って、ことは休みないのかい? 大変だね。
で最近、ブログ書いたり書かなかったり。元来いい加減だから、かく有りなんとは想像していたけど、どうした?
元:痛いとこ、突くねぇー。
筆不精の上、ことば知らず、文才なし。考えることもチンプンカンプン。ブログが続くってこと自体、人生始まって以来の快挙なんだけどねぇ……

気:そりゃ、そうでしょう。少し頑張りすぎてたから、いずれ音沙汰なしってことは想定内だったけど……。
でも自分から始めたわけじゃないか。誰にいわれた訳じゃないでしょう?
元:一念発起で始めたわけだから、その決意たるや相当のもの。自分を疑ったね。そんな毎日書くなんて。
で、書いているうち、段々義務化しはじめるんだ。すすんで書いていたのに、そのうち、書かされているって気になってしまう。

気:おいおい、誰も強制しちゃいないよ。君が書きたいのならと、黙って見ていたけど、おかしいじゃないか。きっとネタ切れじゃないの。
元:一理あるね。なに書くって考え始めると、ウーンってしばらく時間と格闘。ひょっこり出てきた頃は、それで先進むけど、詰まってしまうと、自虐的になる。なんでこんなことしているのかって。

気:要は、君特有のとぐろ巻かい。どんどん嫌になっちゃたってこと? まあ当たり前なんだよね、連続とは非連続があってこそだからね。
元:おいちょっとその禅問答、勘弁して。

気:確かに超多忙だし、言い訳作ればいろいろできるだろうけど……。
で少しは何か、見えてきたかい?
元:楽にはなったけど、見えるほどのことはないね。意識した日常から解放される驚きは、一方で喪失でもあるわけだよ。失ってはじめて見えることはあるはずだけど、頑迷に心を開いていないから、見えてこないね。

気:なに、その大きなお目々を見開いて、1分間ジーとしていればいいんだよ。涙が出てきたら、流してくれるよ、頑固さを。
元:僕の場合は、何重にも堅牢だから、一度の目洗いでは剥がれないよ。

気:確かに化けの皮かぶった目だからね。まあ、少しは話せるようになったようだから、気軽にことば紡いでみたら……
元:はい、ありがとさん。

4月 30, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月25日 (日)

早とちり

さすが病院。外来の人に快く診察してもらおうという計らいか。暖かいというより、暑い。うっすらと汗が浮き上がる。ジャケットを脱いで待合いで待つ。ほかの人を見ても、コートやジャンパーを脱いで座っている。暖房が万全。でも少し暑くない? 帰りの電車も暖房が利いている。ちょっと寄ったパソコンショップは店員と客の熱気に加えて、暖房。暑さに強いはずなのに、どこもここも暑い。変!

思えば、着ている。少し暖かくなるという予報に合わせていたが、厚めのシャツに厚手のセーター、冬物のジャケット。マフラーこそないが、真冬でも寒くないかも。相変わらずの冬装い。道理で暑いわけだ。こんな季節に汗かくなんて異常。世間が暑いのじゃなく、服で暑いわけ。気が付くまで、病院や電車の配慮に感激していた。なんと間抜けな話。

とにかく鈍感。その上無粋。寒くなけりゃ何でもOK。春先だからといって、合わせる服がある訳じゃない。とにかくあるもの、かかっているものを順番に取っ替え引っ返しているだけ。外見なんて気にしているのは、中味のない証拠と粋がっている。要はセンスがないだけ。

さすがにセーターを脱いで、シャツを腕まくりして何とか涼しくなった。どうも悪い癖が出たようだ。自分が原因なのに、人様のせいにするという攻撃的な性格。まずいですなあ~。

3月 25, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 7日 (水)

パターン認識

どうも僕の場合、人間を一音で認識しはじめるようだ。

先日来、はじめての人に会うことが続いた。端から名前を覚えられない質。顔を見て話をするが、顔の印象も全体的にしか捉えていない。鼻が高いとか、眼鏡をかけている、あごが張っている……という顔のひとつひとつの特徴が記憶されていない。顔全体の印象はある。顔から受ける印象は、理知的だとか、早とちり、真面目……。何とも不確かな情報だ。

二度目に会うとさすがに顔は覚えているが、名前が出てこない。うーん、何て名前だった? でも、出てくるわけがない。覚えていないのだから。と、そのとき、「お」という一音が出てくる。その人を「お」に関連付けているらしい。なぜ、「お」なのか不明。でも「お」では、顔を思い出せる。第一印象を、音で関連付けているってわけだ。

困ってしまうのは、相手の名前をいおうとするとき。ひらめくのが、「お」。で、そこから「お」が先頭の名字を慌てて探し出す。奥山、大山、尾崎、大友……。当たらない。まったく違う。その場は、何とか取り繕い、あとでこっそり調べる。「お」なんてまったく関係ない名字。何としたことか!

さらに困ってしまうのは、「お」と顔は結びついたが、「お」と名字がつながらない。つなげようと努力するたびに、強烈に「お」が出てくる。お、お、お……。そのまま、ひとこと「お」とつぶやいてしまう。違う! と頭は働くが、続きが出ない。もうすでに「お」の人になっている。名字はどうでもいい。「お」と出だしをいってから、話を変える。相手には失礼だが、「お」につながる名前が出ないので、呼びようがない。

まずいまずい、と自戒。名字を反芻する。顔と名前を関連付ける。でも、だめ。「お」が邪魔をする。もう、仕方がない、あなたは「お」の人。

何度も何度も顔を合わせ、名前を繰り返し口ずさんで、やっと覚えられる。顔と名前が一致する。何とも情けない話だ。

3月 7, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 2日 (金)

お調子者

気:2月25日、お姉さんに小言いわれていたね。出ると思っていたんだ。愚痴ばっかりこぼすから、当然だね。
元:そうね、仕方ない。

気:でも、羨ましいね。きちんと言ってくれるから。悩みを聞いてくれる人がいるって、いいよ。僕なんか、君と馬鹿話するけど、愚痴る相手いないし……。寂しいもんだよ。
元:そういうもんかな。

気:そりゃ、そうさ。何か悩んだり困ったりしても、ことばにならないと、鬱積してしまう。ストレスたまると、いずれ爆発。君なんか、抱え込んで悶々するタイプだから、特にたちが悪い。
元:誰だって悩みがあるだろうけど、うまく表現できないじゃないか。でも相手してもらえれば、話すうちに自分の中で整理も付く。

気:意外とそれほど深刻じゃないのに、重そうに抱え込んでにっちもさっちも行かなくなる。君の場合、人に語るときって、結構整理が付いていて、方向性が出ているってことよくある。君だけじゃないけどね。でも、人に語る前に内語で悶々する質でしょう?
元:それほど悩んでいるわけじゃないけど……。でも結構、試行錯誤が続くね。大体まずいことばっかりだからね。

気:君って、お調子者で外面いいけど、そのあとが大変だ。相手は気にしていないことも、自分のせいのように考え込んでしまう。そんな人間には、聞く耳持っている人って貴重な存在じゃないか。
元:そう、確かに。

妖:二人でしけ込んで、世界が真っ暗って顔して、何話しているの?
気:おやっ、初登場。

妖:その態度、ジメジメした気色悪い雰囲気。パーッと明るく行きましょう。暗いわよ。気:済みませんね、暗くて。
元:いやー、すぐ後退回路に入ってしまう性格なもので……。

妖:なら、これからは、私が話してあ・げ・る。あなたも、暗い雰囲気にすぐ融け込んでしまうから。主役交代でしょう、そろそろ。
気:何するって、わけ?

妖:私の時代よ、これからは。任せなさい。少しは明るくなるから。
元:ありがたい。

3月 2, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月26日 (月)

白衣高血圧

1年に1回の健康診断。血圧測定。女性を目の前にするだけで、怖じ気づいてしまう。まして白衣を着た看護士が好みの女性なら、座る前にすでに顔を赤らめている。耳が熱い。心臓の鼓動はドキドキ。

それでは、腕を捲し上げてくださいね。天使のように優しく包み込む声。こりゃ、だめ。すでに意中の女性を目の前にしているよう。は、はい。声が擦れて、出ていない。思いっ切り肩まで捲し上げると、クスッと笑顔で、そんなに上げなくてもかまいませんよ。あっ、はい。少しは聞こえたかな。喉がからから。腕帯を巻いてくれる。もろ出しの腕に触るわけじゃないが、温かい空気に包まれる。すでに耳は真っ赤。顔だって赤いはず。

シュッシュッと、空気を送り込む。腕が締め上げられる。少し痛みが……。そんなに強くしなくても……。少しの我慢、と顔をしかめる。少しだけですからね。柔らかな声。締め付けたまま、しばし様子を見る。急に空気を抜く。同時に緊張がほぐれ、もうどうでもして! となされるまま。下がったところでまた確認。はい、お仕舞いです。そそくさと片付ける。えっ、ここまでお付き合いしたのに、つれないじゃない!

上が145、少し高いですね……。そうりゃそうでしょう。あなたが目の前にいるから。次は……。もう聞こえていない。我に返って、隣の診察へ。雲に乗ったような一瞬だった。

2月 26, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月25日 (日)

あなたからの反論

あなた、あなたって呼びかけますけどね、気安く呼びかけないでくださいな。
私のこと、賢明だとか仰いますが、聞く耳だけの存在じゃないんですよ。モナリザみたいに、ただ笑って聞いていられるほど、人間できているわけじゃないです。

私だって、いいたいことあるんです。聞いていると、あなたの話って論旨が一貫していませんよね。出だしは結構泣き言が多いじゃないですか。それがそのうち、言い訳になったり、私と関係ないことに発展したり。聞いて欲しいのなら、もう少し私にわかるように話てくれなくちゃ、ね。

そりゃ、私って口数少ないでしょう。世間じゃ、大人しくて清楚だなんて噂されていますよ。まあ、当たっていることもあります。理知的だなんて持ち上げる方もいますね。でも、それってあなたもご存じのように、ほんの一面でしょう。不可思議な笑みをたたえて、そよと構えている和製モナリザとか仰いますけど、そんな絵の中の存在じゃないんですよ。弥勒菩薩だなんて、そこまで褒めなくても、ね。私は、ここに存在する生身の人間なんですよ。大声張り上げ顔くしゃくしゃにして笑い転げたり、笑い堪えて目元を崩す、そんなどこにでもいるような存在なんですよ。ご存じでしょう。

あなたの愚痴って、聞いていてアホみたいと聞き流しているから、黙っていられるんです。ときどき笑ってしまいますよ。何がおかしいって、毎度毎度同じような悩みに付き合わされているわけですからね。進歩ってものとは縁がありませんよね。とぐろを巻いて、似たような話ばかりです。でも、ちょっと私じゃないと聞けないのかな、なんて自尊心くすぐられるから、おかしさ堪えて聞いているんですよ。ときには、明るい話ってないんでしょうか。和製モナリザが、弥勒菩薩が声を上げて笑うような話です。クスクスじゃ、インパクト弱すぎますよ。
今度は、あごが外れるような話、期待していますからね。

2月 25, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月23日 (金)

自明性

賢明なあなたなら、いまさら何? といぶかるでしょうね。自明性を疑おう、なんていったら。
自明って、真実でしょう。そこに自明があるから、それが真実なんですよね。真実がどこか他所にあるわけじゃない。真実って、その時空間で決定されているものですよね。永劫不滅の真実なんて持ち出しちゃ、話になりませんね。だからこそ自明が、真実なんですよね。

でも、もっとも疑ってみるに足る対象ですよ、自明って。自明を決定づける時空間を調べてみると、けっこういい加減ってことがわかってくるんです。
当たり前って、いいますよね。ぼくもよく使うんです。そのときの流れで都合がいいからってことがありますね。そんなとき、当たり前じゃないか、自明だよ、ってほっかむりするんです。でも、自明性など鼻にもかけないあなたなら、そんな言い出しに食いつきますね。もっともな話です。自明性を疑うといって、自明性を根拠にしたら成り立たないってわけです。

自明の束のなか、ひとつの呪縛を解き放すと意気込んでも、連関していて整合性のある自明性を解き明かしにくいものです。ほぐれた1本の紐をたどって、ほころびを直すという、まったく展望のない作業が待っています。でも、人間の歴史って、自明性を解体・再生するという、留まることを知らない営為のような気がします。自明性のただ中にいながら、自明性を解体・再生させているのでしょう。この自明性の自己運動こそ、捉えて止まない営為でしょう。

自明性が整合的なゆえ、トートロジカルな罠に嵌ってしまうことが多いものです。円環が閉じる程度なら、自覚的にもなれます。とぐろがほぐれたと喜んでも、上昇気流の罠に掬い取られてしまうことも多いものです。
ときには、癒されるというお風呂にでも入って、自明性に浸ってみましょうか。

2月 23, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月18日 (日)

苦虫つぶした顔体操

昔職場で斜向かいに座っていた30代の女性。よく笑う楽しい人だった。つい笑わせてしまおうと、冗談を連発。笑うと、満面の笑み。で、目を押さえていた。きっと笑うと涙目になりやすいのだ、と自分に当てはめていたら、違った。笑うと、目じわができる。それを指で押さえていたのだ。よく見ると、目の横を抑えている。

シワって、顔を動かすと出来やすいのだろう。年期が入って渋みができるも悪くない。
でも、若い頃は出来なかった苦虫つぶした顔が、今は日常的。男の渋さを出したいと意識している訳じゃない。気分も悪くない。なのに、強面の怒り顔。

頬の肉が落ちている! 笑ってみると、昔より頬の肉が垂れ下がった状態でピクピクさせながら笑っている感じ。頬肉があごまで垂れ下がり、そこにシワができた感じ。黙っている、話す、笑う、どの状態でも頬肉が重く垂れてしまう。下ぶくれ。シワがそれを固定させる。顔が固まる。結果、苦虫を噛みつぶした顔のようになった。表情を作ろうにも、パックしたようで重い。苦虫顔の原因は、垂れ下がった頬肉だった。

何でもそうだろうが、今からでも遅くない。強面の表情なしの苦虫は、いただけない。顔の体操をすれば、重いパックも消え、頬肉も少しは軟らかくなって、豊かな表情がでてくるはず。何をすれば? 考えてみた。芝居の稽古やアナウンサーの練習でやるやつ。ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ……という発声練習。これって、口をいろいろな形に変えながら発声するので、顔の筋肉も結構使うのでは……。やってみた。実はだいぶ前から試している。成果があるかどうかは、正直言ってわからない。歳とともに頬肉は下がっている気がする。ただ、朝やると、頭の回転が少し良くなったような気がする。気分も変わる。きっと頬肉の垂れ下がりに少しは歯止めがかかっているはず。

2月 18, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 6日 (火)

口は災いの元

あなたはご存じでしょうね。僕が口数が多いことを。しかも、つい口が滑って余計なことまでいってしまうことを。そうなんです。必ずひと言ふた言、多いんです。本意ではないんです。でも出てしまうのですから、そう思っていると信じられても性がありませんよね。話したあとは結構落ち込んでしまいます。収拾つかないことも出て、頭を抱えてしまうんです。

別に非難をしたい訳じゃないんです。ただそれは違うんでは、と異議を差し挟んだだけなんです。でも、批判と受け取ってしまいますよね、当然、相手は。ムッとした表情、ふと出た言葉から読み取れます。それからが堪りません。釈明と言葉を継ぎ足すのですが、それが墓穴。事態がゴチャゴチャになります。真意なんてものが確固としてあればいいのでしょうが、あるはずもありません。周辺を言い訳のように取り繕ってしまうだけなんです。

以前も忙しい忙しいといったら、いいですね忙しいのは、と返ってきました。良くないんです、自慢したい訳じゃないんです。ただ言ってしまっただけなんです。でも話題が仕事の話に移れば、語らなくてもいいことが口から出てしまうんです。相手は話し合わせただけなのに、余計な詰まらない自慢話に付き合わされることになるんです。どこかで止めようとしても、収まりどころがわからないまま進んでしまいます。まずいですよね。相手はどうでもよさそうな顔して、聞くしかなくなります。誰かヘルプ! と叫んでも、助け船は来ません。もう嫌気を差してしまいます。そこで話を相手のことに向けるのですが、調子よすぎますよね。相手だって、今度は俺のことかと呆れているはずです。

最近口を出すのを抑えようと試みたりするんです。すると相手は、どうした不機嫌なのかと心配し出します。このあたりで突っ込むはずと待ちかまえているのを蹴手繰りしたことになるのでしょう。人の話を聞く耳ぐらい持ってます、と大人しくしているのです。
難しいものですね、身から出たサビとはいえ。

2月 6, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 2日 (金)

家庭裁判所

本来なら1件ずつ審判するのですが、同じような事件なので、まとめて審判します。
小学校の教室のような部屋。三人座りのテーブルが3列並ぶ。親子2人ずつ、10数組が着席。

それでは、これからの予定です。このあと、調査官から1組ずつ呼ばれます。調査室に移ってください。事件について伺います。そのあと、大部屋の審判室でお待ちください。全員揃ったところで審判です。

親子3人、じーとアナウンスを待つ。呼び出されたのは、審判室の大部屋の隅。仕切りがあるが、声が聞こえてしまう。さっき説明していた人が調査官。3人ですか? 椅子をもうひとつ、と折り畳み椅子を引き出す。調書を端折りながら読む。間違いないですね。すでに警察署で確認した内容。はい。何かありますか。脅されたようなもので……。慌ててペンを走らせる。わかりました。それでは、あちらに移ってお待ちください。

全員の調査が終わり、先ほどの調査官が説明。くれぐれも失礼のないように、これから裁判官が来ます。

全員、起立! 礼! 着席! 身丈180以上、肩幅がっちりの裁判官。居丈高に声を荒げて審判を降す。前列の人に質問。緊張して声を出すのがやっと。それでは、終わります。起立! 礼! ドタドタと部屋を出る。人生を裁断するゴッドのよう。

書記官です。みなさんの事件は……。
若干年寄りの人が、説明に入る。黒板に貼ってある事件と審判について説明する。

不処分という処分です。今後何かあれば、問題になります。以後気をつけてください。それでは、ご苦労様でした。

裁判官にもいろいろいるが、権威だけを着飾ったような姿にただ唖然。高飛車そのものだった。

2月 2, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

久し振りの胃腸科

11月末、鼻カメラの結果と、耳鼻科の初診を受け、今度は鼻のCTスキャンを受けることになっていた。話が違うでしょう、具合が悪いのは食道。鼻は別に何も……。心配なところは診ておきましょう、とセットされた。

製材所で丸太が乗った大型電動ノコのようなCTスキャン。仰向けで腕を組み、カバーで覆われると丸太だ。動かないでくださいね。ウーウ。返事もできない。私が動かしますから、自分で動いちゃダメです。頭を両手で抱えて右に左に。リラックスしていいですよ。動くなって、いったじゃないか。

キューブ状のカメラが近付いてくる。目を閉じる。丸太がレーザー光でスッパリと切られるようだ。鼻のあたりに、ほんのり温かい光の一条が照射。輪切りにされ、干物にされる!。テレビでよく見る、CTスキャンの断面図。あのまま切断されるかと焦る。はい、お疲れ様でした。肩が凝った。荷物を抱えて、慌てて部屋を出た。

だいぶ待たされたが、診察室で見た。テレビで見たのと同じ断面図。中央の鼻筋、右に片寄っていますが、まっすぐな人っていないんです。あっ、そうですか。何か筋違いのよう。ここに溜まったものありますが、問題ないでしょう。はい。だって前回、短い鼻カメラで撮って、確かめたはず。自覚症状がないかぎり、問題ありません。症状が出たら、あらためて来てください。はい、ありがとうございます。念には念を、というが素晴らしい執念深さ。鼻で来たんじゃない、食道なんだけど……。

どうですか、調子は? ええ、あの薬、よく効きます。もう大丈夫ですよね。いや、胃酸の逆流ですからね。お薬出しますから、また2か月後。まあ、いいか。突き放した感じの冷たさだけど、少し美形の女医さんだし、2か月に1回なら楽しみにしておこう。

2月 1, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月28日 (日)

風邪もらいたがり屋

あなたはご存じないでしょうね。子どもの頃、風邪を引きやすい子どもだったってことを。いまじゃ、風邪も寄りつかなくなりましたけどね。

小学生の頃までは、よく風邪を引いていたんです。寒かったですからね、仙台は。風邪でも、翌日は回復。学校休んだことがないのが自慢でした。親父が作ってくれた葛湯のおかげです。お袋が作ると、葛が玉になり、とろみが出ないんです。怒った親父が作り直すんです。葛を入れ、熱湯を少し加えてはよくかき混ぜ、また熱湯を入れる。結構手間掛けて作っていました。職人芸のようでした。砂糖が入ったとろみがどんぶり一杯。大さじで飲むんです。熱くて舌が火傷しそうでした。体はポカポカ。そのまま、掛け布団2枚重ねて、寝かされました。綿布団ですから重いんです。布団から出ることもできず、朝まで汗いっぱいかいて、熱が下がっていました。

中学でバスケット始めてから、あまり風邪を引かなくなりました。それでも1年に数回は寝込んでいたような気がします。大人になって、印刷屋さんの営業の方に、家に帰ったら、うがいと手洗いをするように勧められてから、ほとんど風邪を引くことなくなりました。

風邪引かないというのも寂しいものです。昔ですが、彼女が風邪を引いた夜。具合が悪かろうと、早めに帰宅し、あとはいいから……と寝かせる。日頃の家事疲れも手伝って熱が出たりするんでしょう。何するわけではないが、片付けして僕も寝るんです。翌日の夕方、決まって風邪を引くんです。というより、微熱で頭がボーッとした感じになったのを、これ幸いと風邪にするんです。風邪引きさんが羨ましくなっているんです。1日寝込んだんだから直っているだろう。こんどは面倒みてもらう番と決め込んで、風邪にしてしまうんです。

詐病のようなものです。でも、風邪もらったといえます。彼女にしてみれば、風邪うつしてしまったと、気を回してくれる。日頃たくさん面倒みてもらっているのに、1日だけ寝込んだだけなのに、何倍もお世話してもらいたいわけです。ただ風邪だ風邪だと、か弱い病人のように騒いで、布団2枚掛けて寝るだけなんですが。ずるいって羨ましがっているんです。

そんなことが何回かあると、彼女もわかって、風邪引かない。引いても言わなくなるんです。1日で直る訳じゃないのに、翌日には直って逆に気を使わなくちゃいけないわけですから。風邪なんか引いてられませんよね。まったく困ったものです、風邪もらいたがり屋は。

1月 28, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月18日 (木)

本質的な問題

せっかちとは困ったもの。すぐ苛立ってしまう。即、腹立って怒ってしまう。相手が目の前にいると、何を怒られているのか不明。キョトン?! 檄高に竦んでいる。こりゃまずかった、と反省するのはだいぶ経って、苛立ちが収まってから。ときどきは、まずいまずいと堪え、本質的な問題は? と考え、怒りを収めようとする。そんな調子よく感情を制御できるわけないが、苛立つとダンマリを決め込み、何が問題? と思考をずらす。

作業が進まない。時間が迫っている。速くしろ! って叫びたくなる。言葉を飲んでダンマリ。状況はわかっているはず。時間に追われているからといって、手抜きしたらあとで大変な目に合う! と作業を急いでいるはず。どだい、僕の作業が遅れたしわ寄せがいまに至っている。余裕を持ったスケジュールを組んでいない方がまずい……。でも、ないんだ時間が。もう少し何とか……。

いやいや、本質的には、作業が重なったのがいけなかった! 日程が厳しいのに、はい大丈夫です、なんて安請け合いするからだ。無理を承知で進めていたのだから、当然の報い。無理とわかっていたのだから、断るか、日程を延ばしてもらうぐらいの判断ができたはず。でも、断ったら、次のチャンスないかも。日程だって、先方は厳しい中でギリギリの予定のはず。

そもそも、いくつも並行して作業なんかできるわけがない。いっときにできるのは1つ。シングルタスク。なら、売り上げは? 減る! でも、一人で抱えられる作業量って決まっている。時間だって有限。ってことは、この数式、成立しない。一人の作業量と時間で割り出したら、割が合わない。

単価が安いから。そう、値段が高けりゃ、解決。そんなわけない。高いなら、他所様が取っていってしまう。何もなくなる。グローバル化が進んだこの社会。国外に目を向ければ、はるかに安く作ってしまうところはいくらでもある。日本の空洞化だ。こりゃ、まずい。最近は国外製だって質もよくなってきた。勝ち目がない。安い労働力が問題? いや、日本の給料が高い。高いといっても、生活の質って、上げることはできても下げられない……

他社はきっとアルバイトやパートで、コストを抑えているはず。そんなんじゃ生活できないだろうに……。正社員と派遣社員、契約社員、パート、アルバイト……。コストを抑えて生産する、この格差構造がまずい。いや、大手企業と中小企業の差か……

できました……

ダンマリのまま、最終チェックに入る。本質的な問題はお仕舞いだ。

1月 18, 2007 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月16日 (火)

半分抜かれた奥歯

年末、口の中に違和感があった。舌を回していたら、妙なものに当たって舌の下に。出してみると、虫歯治療のあとに被せたもの。上の左奥歯を触ってみた。ポッカリ穴が開いている。忙しいこともあり、そのまま。食べると、挟まる。そのたびに、詰まったものを取り出していた。

そのうち、グラグラした感じ。詰まるところも広がった気がする。しかもときどき歯痛。いまは忙しいからと我慢していた。左側で噛めなくなる。右側の入れ歯は、入れて1週間ほどで止め、下の歯が3本ほどない。まともに噛めなり、前歯で噛む。さすがに、限界かと歯医者に予約。

10か月ぶりですね、どうしました? 被せたのが取れちゃって。これですね。おやっ、割れてますね。何か硬いもの、思いっ切りかじりましたね。えっ? よかった、半分残っている。それじゃ、半分抜いちゃいましょう。神経も。今日、お酒はダメですよ。あのー、今日飲む予定が……。なら少しですよ。

さっそく麻酔。チクリとしますよ。はい5分間、待ってください。そばでイライラしている様子。5分待って……。しばらくしてまた、5分経ってから……。自分に言い聞かせているせっかちな歯医者。3回も確認。はい、それでは始めます……。終わりです、うがいしてください。今日のお酒、1杯だけですよ。はい、ありがとうございます。

グラグラしていた表側が抜かれ、奥側が残っている。舌で触ると、変な感じ。事務所に戻っても仕事にならない。やたら眠い。麻酔だ! 仕事が進まない! 誰かを捉まえて話をするのがやっと。人迷惑も甚だしい。目頭が重い。こりゃ、酒など飲んだらどうなる?

夜、約束通り来客。少しだけだぞ! と自分に釘を刺す。中華料理屋でビールと料理を注文して、1杯目を傾けるところまでは覚えていた。話が弾み、食べ、飲むうちに、すっかり普段の調子でお代わりを繰り返す。気が付いたら久し振りに飲み過ぎ。フラフラする。年のせいか、酒弱くなったものだ。家に着いたら、はや、軽い二日酔いのよう。酔いの回りが速く、頭がガンガン。

と、思い出した。1杯だけのはず。とてもとても。何杯飲んだか数知れない。それに麻酔の相乗効果だろうか、悪酔いだ。今頃気づいてもあとの祭り。ズキンズキンするまま寝床に。翌朝も似たようなもの。麻酔とアルコールのブレンド酔い。このときばかりは自戒した、医者のいうことは聞くものだと。

1月 16, 2007 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年12月27日 (水)

小春日和

あなたはご存じでしょうね。小春日和って、晩秋のポカポカと暖かな日のことだってことを。てっきり、初冬のことだと勘違いしてました。陽気に誘われる日に変わりはないのですが。

歩くと、うっすらと心地よい汗をかく、そんな日ですよね。枯れ葉が小道を埋め、足もとから踏みしめる音がザクザクと聞こえるんです。道に届かなかった日ざしがいっぱい差し込み、緑に遮られた地面が息づいているようです。明るく、でも寒さを感じさせる木々にはほんの少ししか葉がついていません。きっと木枯らしが吹けば、枝も耐えきれなく、残りわずかな葉を落としてしまうのでしょう。見上げれば、木々のすき間から青く透き通った空が広がっています。寒さがぶり返せば、春まで肩を丸めて地面を見つめながら歩くわけでしょう。寒空をじっと眺める余裕などきっとないはずです。

少しだけ薄着をして歩いていたんです。想いを遮る人工的な音を避け、ときに聞こえる小鳥のさえずりや小川のせせらぎ。遠く近くを行き交う電車の音も、邪魔にはなりません。手前に続く散歩道には人影すら見えず、世界を独り占めしたようです。向こうから自転車の姿が大きくなることもあります。人がすれ違うのがやっとの道。脇に避けてやり過ごすと、また静寂が戻ります。

視界が開け、柔らかな日ざしいっぱいの小道。そんなひとときは二度と訪れないのでしょうね。一期一会とは、言い得て妙です。時計が止まったような、あのひとときこそ小春日和ですね。時を止めたいと、本当に天に向かって祈っていました。想いの中では、いまも留まったままですが。

12月 27, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月26日 (火)

クリスマス

確か、ピエロさんですよね。
クリスマス、いかがでしたか。
待っていたんでしょう、お声がかかるのを。

その雰囲気なら、察しがつきますよ。
何もなかったんでしょう。
罪作りですよね、クリスマスって。
恋人たちの出会いのひとときだなんて……。

ピエロさん、饒舌だから、
それとなしに声を掛けたんですよね、素敵な彼女に。
でも相手にされなかった。図星でしょう。

いつもの冗談としか受け取られなかった。
そうでしょう。
期待していたんですよね。
いいですよって、優しく語りかける彼女の笑顔を。

もしかして、プレゼントも用意していた?
ピエロさんらしいですね。
でも渡せなかった。
ですよね、会えないわけだから。

いつもの厚化粧なら、気軽に声掛けられても
いざと、気持ちを固めて話しかけると、
冗談でしょう……
軽くあしらわれてしまうんですよね。

存在がピエロだなんて、思っちゃいませんか。
落とせばいいんですよ、厚化粧。

でも、できないんですよね、ピエロやめること。
不安なんですよね、ピエロでない自分が。

なら、ピエロでいいじゃないですか。
想いを、笑いと冗談で飾って、愉しんで貰えれば。
また、優しい彼女の笑顔に
心をときめかすことができるんだから。
そのひとときだけは、
ピエロさん、あなたのものですよ。

12月 26, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月13日 (水)

思い入れと誤解

気:ちょっと見誤ったね、君のこと。もう少し冷静に判断しているのかと勘違いしていた。
元:何を突然!

気:せっかちで、焦ってばかりで。まともな判断って、ないんじゃないの?
元:矢継ぎ早に、痛いとこ突くねえー。
でも正解だね。どうも正視するより前に、飛んでしまっている。結果、あと処理が厳しい。で、何の話?

気:人間の関係って、やつさ。下手だねぇー、君は。誤解が甚だしい。人を見る目がないね。
元:はい。勝手な思い入れが先行してしまうんだ。思ってしまうことをついつい口にしてしまう。はじめの印象が違ってしまうと、悲惨さ。うまく言葉を継ぎ足せなくなる。でも、また他のイメージを作り上げ、言葉を繋いでしまう。どうも思い入れが強すぎるんだね。

気:そうそう、思い入れだね。君のその思い入れって、大体誤解のもとだね。
元:人間の関係って、でも、誤解の上に成り立っているところがある。自分だけじゃなく、相手も誤解していて。それで関係を取り結べるのだから、実は誤解が正しいんじゃないかい。

気:一理あるね。よく裸になって本当の自分をみてくれ、とかいうけど、すでに出来上がっている関係を修正するんだったら、言葉としてありだけど、それも誤解だよね。
元:誤解っていうけど、本当に誤解なのかい。誤解と思っているだけで、実はそれが実体、まさしくそれが自分自身なのでは? と悩んでしまう。
でも、せっかちに分かった気になった相手にほかの面を見せつけられると、やっぱり誤解と思わざるを得ないね。

気:相手の思惑とは関係ない世界で独り相撲するからだよ。
元:いや独り相撲でもいいんじゃないかな、居直りになるけど。せっかちで理解が行き届かなくて迷惑掛けてしまう。悪いなぁーって恐縮してしまうけど、思い入れのまま走ってしまうな、やっぱり。思い入れを抑えて関係を築くのって難しいよ。でもあまりのすれ違いに愕然とすることがある。バカだねぇー、一人芝居やっちゃったって。いつもこの繰り返しさ。自分でも何とかしなくちゃって、そのときは反省するけど、また同じことしてしまう。困ったものだ。

12月 13, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 6日 (水)

安心

国民性だけの問題ではないだろうが、日本人の貯蓄高は世界でも多い方。社会保障が充実している国では、日頃高い税金を取られていることもあるが、貯蓄が少ない。日本は社会保障が充実しているといわれる。ところが、貯蓄の多さは、個人的に貯蓄を持っていないと、将来が不安な国であることを物語っている。

安心とは、「心が安らかに落ち着いていること。不安や心配がないこと。また、そのさま。」(goo辞書)一般的に、現在の状態を指すが、実は自分の将来が不安なら、いまがよくても安心していられない。よく、いまが良ければいいじゃないか、明日どうなるか分からないのだから、という。ごもっともなこと。それはそれでひとつの生き方。先を考えないでいいのなら、別に問題もない。でも、先に不安があるのは困ったもの。

いま安心していられるのは、将来に展望があること。いまが悪くても、いずれ良くなるという希望が持てること。これが、安心、だろう。いまの方向が明るいものであれば、安心していられる。暗いものなら、不安になる。自分で展望が切り開けるなら、安心というものだろう。

さて、この安心を支えて、展望を開くのは何か? 日本じゃ、個人的な貯蓄しかないのだろうか。それじゃ、やっぱりお寒い。いまより少しはマシな世界がある、という展望を持てるような世界にしたいもの。それが政治の努めじゃないのかな。

12月 6, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 1日 (金)

眠りを邪魔しない制酸剤

胃はいたって健康。きれいなものと、お墨付きまでもらっていた。健康診断の騒ぎがウソのよう。がぜん余裕が出てきた。先日1か月ぶりの診察。いかがですか。いやー、健康そのものです。

とにかく制酸剤がよく効く。横になると、待ってましたとばかりに胃酸が逆流していた。疲れてすぐ眠りにつくが、30分程すると、闘いが始まる。眠いこともあり、横になったまま様子を窺う。だめ。調子に乗って、責め上がってくる。なら、と上体起こす。布団から出るのはまだ。何とか上がってこないことを確かめ、横になる。それっと、食道を喉まで攻め込む。まずい。起き上がって、市販の薬を飲む。マーロックスプラス。噛み砕くだけで済む。効くまで少し時間がかかる。真っ暗な中、体操したり部屋の中ウロウロ。30分ほどで何とか凌ぎ、眠りについていた。

医者からもらった小粒の制酸剤。寝る前に噛む。少し甘いのが気に入っていた。この1か月、ぐっすり睡眠。途中で胃酸との闘いはない。さすがだ。医者に話したら、それみたことか、という態度。嬉しくて褒めているのに、さりげない。よかったですねぇー、の反応があってもいいのに。

だいぶ前もらった制酸剤もよく効いた。ところが、飲み忘れた夜、もの凄い反撃に遭遇。この薬が慢性になると、さらに怖ろしい胃酸責めにあうという恐怖で、この制酸剤をやめた。胃酸と仲好しになること。強烈な反撃にあうより、少しだけなら許してやろう、と決めた。市販の制酸剤なら、騙しにいいかと買い求めた。胃酸とのお付き合いもほどほどにうまくいっていたが、ときに喉まで攻め上ってくる。美声(?)が霞んで、だみ声に変わっていた。

今度の制酸剤でも、わざと飲まないで様子を見た。昔ほどの責め上がりがない。騙されているのか、反撃に備えていたのか。これなら安心かも。さらに2か月分の処方箋をもらって、胃酸の反撃を抑えよう。

胃腸科のあと、鼻の奥が変と回された耳鼻咽喉科に向かう。出迎えた女医さんは、早口。とにかく頭が切れる。質問して、ひと言二言返す間もなく、次の質問や説明に移る。その上、話しかけなのに、こちらへどうぞ、と急ぎ足で行ってしまう。隣の部屋で、鼻カメラの検査。90%陽性の腫瘍。おできのようなものが、ベロンと鼻道の脇のたまり場から出ている。写真を見ると、きれいな洟垂れのようなもの。まれに悪性があるらしいが、それではないときっぱり。でも、心配なら手術しましょうか。いやーあ、どんな手術も好きじゃないし、特に痛いわけでも……。言い終わるのを待たず、でも万が一のこともあるからCTだけしておきましょう。なら、聞かなくても……。

とにかく、食道炎以外は、健康優良児のようなもの。表彰とはいかないだろうが、胃酸と仲良くしていれば問題ないようだ。まあ、無理しないことが肝心だが、無理などする暇がないか。

12月 1, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

君の人生だ

君の人生だ
とやかくいわれるのは心外だろう
はた迷惑ってものだね
自分で歩めばいいのさ
最後は自分で決めるのだから

きれいごと言っているって?

考え直せればと、口出ししてしまった
分かってもらおうなんて
そんな傲慢なつもりはない

ひとりで歩めばいいのさ
できるんだから
人の干渉など馬耳東風でいいさ

嫌われたって
仲間はずれにされたって
場所が変われば
人が変われば
新しい関係ができてしまう

優しさ欲しさに
媚びるってタチじゃないだろう
いいじゃないか、それで
新しい場所にいっぱいあるかもしれない
君が欲しがっている優しさが

ここだけじゃないよ、君の場所は
隣町、遠い街、海を越えた国……
行ってみれば始まるよ
君の新しい人生が

11月 30, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月29日 (水)

歩数計

Rimg0477 歩くのは苦にならないが、日頃机の前でじっとしている生活。体によくないと、歩くときは3~4時間歩く。そんな極端な歩きで、日頃の運動不足が解消するはずもない。でも、散歩しているとき、何歩ぐらい歩いているか知りたかった。

先日、健康保険組合から健康品セットが届いた。目薬、歯磨き粉、歯ブラシなど……。忘れた頃にやってくる、富山の薬売りのようだ。今年は、ほかに歩数計が付いていた。ラッキー! 何と嬉しい気配り。健康不足を解消して、健康保険をあまり使わないようにという経済的な配慮か。オムロンのWalking Styles。

日時、歩幅などをセットして、さっそく使ってみた。

●初日=1864
 妊娠祝いのランチ。みんなで、ステーキハウス「大都会」までお出かけ。
●2日目=10729
 府中で法事のあと、立川の豆腐専門店で遅いランチ。豪勢でシンプルなフルコース。さっそく1万歩クリア。
●3日目=0
 雨で家の中で東京マラソン見ているだけ。
●4日目=1994
 会社にいるだけ。出勤だけ計測、帰宅時は翌日に回し。
●5日目=4546
 これが正式な1日の歩数。前日の帰りと当日の出勤。
●6日目=1782
 前日の帰りのみ。当日は歩数計を持ち忘れ、計測できず。

1週間メモリーに残っている。自宅から会社までの片道は、約1700歩。往復3400歩程度。事務所の中で、机とトイレを数回往復したりで約1000歩も歩いているようだ。1日4500歩。世間では1日1万歩が目標のようだから、遠く及ばない。何ともわびしさを感じさせる歩数計だ。いつか4時間歩いて、元取り返さないと……。変な頑張りようか!

11月 29, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

お人好し

聡明なあなたなら、僕がいかにお人好しかは先刻承知でしょう。どんな人でも話せば分かると信じていましたからね。誰だってそうでしょう。世間に悪い人などいない。根っから悪い人などいないはず。話せば分かる、時間をかけて語り合えば、お互い納得のしようがあるはず。そうでしょう。甘いのでしょうか、僕って。お人好しなんですかね。

確かに一方的な人間の観方でしょうが、これを捨てたら、悪人とどう対したらいいのでしょう。僕も人から見れば、悪いやつでしょう。気むずかしいし、そっけないし。しかも身勝手。手のつけようもないはず。あなただって、手を焼くこと、よくあるのでしょう。でも口べたな僕でも、何とか話せばわかると思っているんです。あなただって、ときに言い負かされて、口尖らしてダンマリ決め込むことありますが、分かり合えないなんて思っちゃいないでしょう。

世間が狭いのは承知していますよ。もっといろんな人がいるんだから、中には想像を絶するひとだって現れますよ、と達観して語りますよね、あなたは。そうでしょう。1人1人違うのだから、中には思いもかけない人っているでしょう。僕は世界が狭いから、知り合いだっていい人ばかり。別世界には、鬼がごろごろいるっていうんでしょう。でも、鬼っていったて人間なら、分かり合えるんじゃないでしょうか。その場面場面で鬼の如く立ち現れても、余裕を持って時間を取れば、また違った人間性が現れ、分かり合えるはずじゃないでしょうか。

もちろん、理想論だってことはよく知っているつもりです。でも、これまでの少しばかり長い人生。立ち現れた人って、悪い人はいなかった気がするんです。中には、あなたなんて傲慢、身勝手。人の気持ちも理解できない鬼って、去っていた人がいたかもしれません。僕だって、人から見れば鬼かもしれませんが、そんな場面ばかりではない。いや、ないはず。人と分かり合えないってことはありますよ。でも、それって決断のときだったり、別れを覚悟する場面だったりってことでしょう。悲しいかな、出会いと別れって付きものでしょう。どこまでも鬼のように接してくる人がいるって、想像できますか。もっと厳しい目を持って接しなくちゃダメでしょう、とおっしゃいますが、いくらやぶにらみでも、どんな風に対したらいいか分からないです。

11月 20, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月21日 (土)

大変きれいです 胃カメラ

逃げて逃げまくっていたのは、体の調子が優れないからではない。あの太い胃カメラを飲むのはゴメンだったから。ビールのように喉越しの切れがあればいいが、とにかく喉を通るのが大変。食道に降りてから、胃との噴門部が鬼門。ファイヤー。炎症が起きていて胃カメラが通らない。圧を掛けて広げようとする。ゲップが出る。涎がゴクゴク! 全身麻酔しましょうね、とまで言われてしまう。

何度飲んでも胃カメラはダメだった。胃のレントゲンで要検査。毎回のこと。健診センターの医者に勧められ、紹介状持って女子医大へ。日頃の行いがいいのか、偶然細い胃カメラがやってくる。タイミングが良かったですね、と女医さんに脅されて鼻からの胃カメラに挑戦。

逆流性食道炎は10年以上前から。その後、いたって健康。不規則な日常生活。生活習慣病そのままだったが、健康優良児のようなもの。でも、胃ガンの心配もありますから、必ず見てもらってください、とお叱りをいただいていた。

待つこと45分。そろそろしびれを切らした頃、お呼びがかかった。何というタイミング。口からの胃カメラ、ダメだったんですよね。初診時とはうって変わって優しく声がかかる。こっちは若干緊張気味。鼻に麻酔を垂らして、細い紐状のもので試し。鼻詰まっていませんね。では、右からしましょうか。あらっ、右は通らないわ。それじゃ左から。通っていく感覚がない。食道を降りていますよ。そういえば、少し食道を刺激している。あっ、炎症がひどいですね。

痛くないですか? 少しの痛さは我慢するつもりでいたが、あの苦しさがない。すでに胃に入っている様子。こそばゆい。空腹時に胃が動いたりする感じ。胃カメラが胃壁に当たっているのだろう。洗いますね。洗浄液が入り、ズズーと吸い出す音。痛いときは声掛けてくださいね。はい、返事ができる。喉を通っていないから当然。看護婦さんがしきりに背中を撫でてくれる。楽にしてくださいね。はい。さほど苦しさがないので、返事も軽い。

きれいですね、だから胃酸が出てくるのでしょう。えっ? よくわからない。心配した胃ガンはなさそう。少し胃が張っている感じ。そうか、圧入れて胃壁を広げているのだろう。目を開けてもいいんですよ。開けてみた。女医さんが、管持って目の前に。すぐ目を閉じる。美人だから照れてしまう。はい、息吸って、そのまま。じっと我慢。はい、息吸って。えっ、もう無理! これ以上吸えない! そうだったわね。はい、吐いて。きれいきれい、そろそろ終わりです。確かにそろそろ限界。肩の力を抜いてリラックスのつもりが、肩に力が入っていた。こそばゆい胃カメラの突端は何ともないが、噴門部に当たる管が刺激しているのだろう。

はい、終わりました。どうでしたか? いやあー、全然苦になりません。胃はきれいです。心配ないでしょう。食道の炎症はひどいですが……。前からそこが問題だった。でも胃カメラで見えない胃に何かあると疑っていた。とにかく胃は健康。助かった。この機械、病院にも少ないので感想書いていただけますか。えっ、この場で。私に気兼ねせずに書いて構いませんよ。はい。とにかく楽。こんなに楽なら、もっと早めに受けて誤解を解きたかった。でもこの胃カメラ、数が少ない。もっと台数増えれば、みんな楽に検査受けるのに。

鼻の奥に炎症のような、できもののようなものがありますね。専門じゃないから、耳鼻科行ってください。受付時間が終わったので、いつでもいいですが、必ず受けてくださいね。検査のリレー。解放してくれないようだ。それと、薬。毎日飲んでください。はい。

すっかり楽になった気持ち。口から胃カメラ飲んだときは、喉に苦しさが残ったが、鼻には痛みが残らない。少し鼻水が出るだけ。次回の診察と、耳鼻科の予約を取ってから、秋晴れの病院を後にした。

10月 21, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年10月15日 (日)

消化器病センター 初診

やっと鉛入りの腰が上がった。久し振りの総合病院。血を見るのも目を塞ぐ小心者。どうせ初診。まずは胃カメラの診察日を決めてお仕舞いだろう、と出かけてみた。

さすが近代的な病院。総合受付センターの初診受付は、大きなロビーの中。半円形のカウンターに受付嬢が数人慌ただしく対応している。順番に並ばなくても、開いているカウンターで恐る恐る、初診ですが……。紹介状、保険証は、お持ちですか? これにお書きの上、揃えてお出しください。手慣れている。当然だろう。毎日何百、何千と対応しているのだろう。奥のソファーでお待ちください、お呼びします。込んでいるんですか? 土曜日としては少しすいているでしょう。すぐ声を掛けてしまう。

待つこと10分ほど。この用紙に書き込んで、2階の消化器の受付に出してください。広いロビーのエレベータに乗る。ホテルや空港ロビーのような吹き抜け。病院という雰囲気はない。受付に出して、またソファーで待つ。受付嬢が呼ぶ声がしない。静かな雰囲気。消化器の診察室が12あるようだ。電光掲示板に番号が点滅するとき、ピンポンと鳴る。該当の受付番号の人が診察室の前に移動する。なるほど、いちいち番号や名前を呼ばなくても済むようなシステム。合理的。ピンポンとなるたびに、自分の受付番号を確認する。20分ほど待つ。自分の番号が点滅。やっと自分の番。立ち上がって診察室へ向かおうとすると、番号が消える。なに? 点灯間違い? 自分の番号が消えている。同時に点いたもうひとつの番号だけが残っている。システムの間違いか。座って待つ。すると受付嬢の名前を呼ぶ。はい。中へ直接お入りください。慌てて診察室に入る。済みません。番号が消えたので……。入り口の番号は、1番目の人はしばらくすると消えるんです。女医さんだ。そういえば、女子医大。医者は男と決めてかかっていた。

具合が悪いところは? 喉は通りますか? 優しく声を掛けてくる。特に悪いところはないです。健康診断で引っかかったようです。人様のような受け答え。胃カメラ、通らないんです。ちょうど良かったわ。来週細いの来るから。普通は1cmのやつですが、5mmの細いやつ。鼻から通すんです。痛くないですか? 麻酔しますよ。喉の奥を通すので、ゲエゲエ戻すってことないんです。やったあー、念願の細い胃カメラ、体験できる。何回か胃カメラ飲んだが、通らなかった。食道と胃の境目(噴門部)が狭くなっていて、胃カメラが入らない。これってすでに十数年前から。ってことは、それから病気が進行しているワケじゃなさそう。

それでは、来週検査しましょう。いつがいいですか? XX日にしましょう。一人で次々と決めていく。あっ、はい。えっ、はい。そでは、部屋出て奥のケアセンターで看護婦から説明聞いて、血液採取して、終わりです。さっさとお仕舞いにしようとする。でしょうね。まだ、何も見ていないわけだから。まあ、悪いところはないわけだし……。ありがとうございました。腰を浮かしたところで、薬飲んでますか? はい、市販の薬。では、薬出しておきましょうね。それって、胃酸を抑えるものですか? はい。

ケアセンターへ。最近の医者って大変。話を聞きながら、キーボードで入力していく。目の前で入力される内容。ある程度分かってしまう。しかもタイプミスが多いのに驚き。キーを叩いては、バックスペースキーを何度も押す。始めから再入力。なら、エスケープキーですべて消してしまったら早いのに。診察時間より、キー入力の時間の方が多い。でも、診察したあと、手書きすることを考えれば、この方が無駄がないし、ワケのわからないドイツ語より日本語で入力した方が手間いらずか。

看護婦さんから話聞いて、血液採取の地下のコーナーへ。銀行のATMのような機械が数台並ぶ。診察券を入れる。受付番号とBコーナーへ、という用紙が印刷される。中だろう、と入る。A、B、Cにそれぞれ、数人が待ちかまえている。電光掲示に番号が点灯する。なるほど、番号がついたら、そこに足を運ぶのか。椅子に座って、システムを確かめながら、人の動きを見ている。キョロキョロ。どこに番号が出るのか。ほかの人が終わったり、始まったり。僕の名前が呼ばれる。はい。番号見ていたから、わかっていると思ったのですが……。済みません。自分の番号が出ているとは思っていなかったので……。だれも名前を呼ばれていなかった。これに採取します、名前は正しいですよね。はい。すぐ終わる。1階で会計して終わりです。ありがとうございます。

1階の会計コーナー。カウンターで10人近くが受付ている。並んでもほんの1分。終わりました。それでは、あちらのコーナーで会計してください。銀行ATMのような機械が10数台。診察券を入れると、金額が出る。お金を入れると、領収書と診察券が出てくる。なんと合理的。しかも早い。昔なら、ひとつひとつのコーナーで待たされる。待つ時間も短い。人がどった返しにならなくて済む。感心感心と、建物を出て、外の調剤薬局へ。待ち時間10~20分と出ている。いろいろと気配りがされている。なるほど、久しく病院来ていない間に、システム化されていたのか。

今回は初診。すぐに治療が始まるワケじゃない。自分の覚悟を決めるだけ、と納得させて帰る。だいぶ経ったから診てもらうのも悪くないはず。特に悪いところがある訳じゃない。安心保険。

10月 15, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月14日 (土)

性善説

聡明なあなたなら、僕が人を恨んでしまう危うさに悩んでいるのを察しているでしょうね。そんなに悪い人なんて、いないはず。話をすれば、お互いにもっとマシな結論や関係を得られるはず。そんな強い思いがあるんです。どちらかといえば、性善説に立ちたい。違いは違いとして互いに認め合いながら、躓いた関係を修復したい。頭でっかちながら、そんな思いを持ちたいものと、日頃努めているんです。

でも、あなたもご存じのように、いつも問屋はそうは卸さないんですね。性善説でお目出たく立ち振る舞って悲しい目を見ることって、どうしても気になります。この人は生来悪い人で、お仕置きをしないといけないなんて、そんな思いを持つだけで、嫌になってしまいますね。にもかかわらず、そんな場面に遭遇するって、ときどきありますね。

悪さをするには、それなりのワケがあるはず。でも、これって一方的ですよね。相手が悪で、こっちが善みたいな。そんな一方通行の関係って、事態を好転させないだろうと、こちらの非も探したりするんです。確かに事態をこじらせる原因は、僕自身が作ることが多いんです。まずいですよね。自分で蒔いた種なのに、芽吹いてしまって展開してしてしまった事態を収拾できなくなって、にっちもさっちもいかなくなる。そんなとき、どうしても自分だけのせいにできなくなる。相手のせいにしたりする。

それがいけないってことは分かっているのですが、収拾がつかなく困ってしまう。

あなたはきっと、お互いの気持ちのズレが広がったのだろうっていいますね。その通りでしょう。ズレが拡大したという思いを持っているのなら、ズレを埋める努力をしたらと、励ますでしょうね。ごもっともです。でも、収まらない心の動揺は隠せませんよね。不整脈が平常心を高鳴らしてしまいます。

そうです、あなたがいうように、気分転換してみたらいいのでしょう。まずい事態でも、人の良さが引き立ってくることがあります。嬉しいですね、本当に。何とかこの喜びを支えに、懸命に努力したいものと何度も思いましたね。本当に多くの素晴らしい人を見出します。この人たちを支えに、気分転換を図って、再戦したいものですね。

10月 14, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 1日 (日)

指名手配 健康診断 続き

ランチのイタリア料理。旨い。ゆっくり1時間ほどかけて味わう。あの優しい女性から、釘刺されるのだろう。上に上がる。受付で、呼ばれたものですが……。あっ、ソファーでお待ちください。はい。

診察室から看護士が僕を呼ぶ。えっ、先生か。まずいなあー。教職員室に呼び出されたときのことが蘇る。悪さをしたわけじゃない、クラブが遅く、着替えに手間取っただけだったのに。

どうぞ、お座りください。緊張しつつも、覚悟を決めてニヤニヤと笑うしかない。胸焼けするでしょう。そう、この胸焼けって言葉、よく知らなかった。はい。胃カメラで見てみましょうね。やけに優しい。と、入り口にスタスタと、先ほどの看護士さんともう一人。聞いても応えなかったバリウム担当のレントゲン技師。入ってくる。しっかり、確認しようとしている。部屋にも看護士さんがいるのに。もう、逃げませんよ。

カメラ通らないんですよね。もう調べがついている。麻酔打てば、目が覚めたら終わっていますよ。食道が塞がると、毎週1回圧入れて開けなくちゃいけない。炎症起こしているから、潰瘍だよね。食道の壁、見なくちゃ。胃だって見よう。若い医者。はっきり言う。いやあー、何とかご勘弁を、なんていう雰囲気じゃない。4人の視線が注がれている。紹介状書きますから、どこがいいですか。職場は? 近い方がいいですね。東京女子医大で、どうです。昨年、紹介状書いてもらった病院。

医者の前では、本当に誰もが赤ん坊同然。有無を言わさない。いいですか、近々行ってくださいね。僕のことを心配してくれているのが、よくわかる。はい。その言葉を聞いた、看護士二人が出口から消える。いやだ、とか言ったらどうなっていたのだろう。知らない人なのにこれほど気をつけてもらっている以上、性がないか。それでは、いま紹介状書きますから、外でお待ちください。はい、ありがとうございました。で、甘いものはダメですよ。えっ、あめ玉もですか? いや、あんパンとかですよ。あいやぁー、まいった! 昼食食べなくても、長時間労働に耐えられるのは、甘いもののお陰。甘いもの取ったら、活力の元がなくなってしまう。ビールだって控えているのに。たばこも話題にしないで、甘いものダメ、そりゃないでしょう。

この中に診断書のコピーも入っていますから、必ず行ってくださいね。看護士から渡された封筒。去年と違うのは、先生の名前がないだけ。さっき呼び出しに来てくれた受付嬢に挨拶して、性がないかと諦める。

10月 1, 2006 心と体, 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月30日 (土)

指名手配 健康診断

前回2月は急に用事が入り、パスした健康診断。9月はじめにネットで予約状況を見ると、来年3月までいっぱい。せめて健康診断ぐらい受けておかなくちゃ、とキャンセル頼みに電話してみた。年末12月28日に空きがある。きっとその頃は余裕がないはず。もう少し前に空きないですかね。今月の月末なら1人、開いてますが……。それで結構です。とにかく予約した。

慌てて仕事抜け出し、健診センターへ。いつものように、血液採取から。目をつぶる。
次は、超音波診断。着替えた上着をはずし、横になる。いつも特に問題なくパス。でも今回は、少し丁寧。終わってから、濡れタオルで体拭きながら、何か変わったところは? 詳しくは、先生の方から。看護士さん、とりつく島もない。

レントゲン終わって、胃部レントゲンへ。

発泡剤、バリウムと飲む。ゲップ出ますが、我慢してくださいね。これが大変。力を入れてゲップを我慢。はい、右向いて。そこで息止めて。リラックスしてくださいね。ゲップ抑えてるから、ゆったりできない。息抜いて! あらっ、ゲップ出ましたね。もう一度発泡剤飲みましょうね。それでは、右から一回転して、もう一度、はい、そこで止まって。はい、息抜いて。圧力が抜けましたね。もう一度、飲みましょうね、発泡剤。えっー、またですか。もう少しですからね。我慢してくださいね。はい、今度は左向いて、もう少し正面。はい、止まって。

はい、終わりました。やったぁー、今回はバリウムのお代わりはない。いつもは、発泡剤2回、バリウム2回。これだけお代わりしたらお腹満腹。で、どうですか? 結果は、あとでお知らせします。にべもない。以前なら会話してくれたのに、話もしてくれない。ガードが堅くなったのか、忙しいのか。こっそり担当の方から聞き出すことに失敗。

小水を採取して、インフォメーションで待つ。慌ただしく走ってきた女性の看護士さん。インフォメーションで担当の女性にひそひそ声で話す。診断カードを持って、僕の名前を呼ぶ。はい。隣に座り込んで、いかがですか? えっ? 病院には行かれてませんよね。あっ、はい。

昨年の2月の健康診断で引っかかった。健康診断の翌日、電話が鳴った。看護士さんから。はい、私ですが。先生と替わります。えっ、先生。一度詳しく観てもらった方がいいですよ。有無を言わせない。ちょっと忙しくて……。ここに診察に来ている先生が専門医なので、紹介状書きますから、行ってください。悪くなると大変ですから。矢継ぎ早に決めてしまう。明後日には届くようにしますから。ついに呼び出しか。これまで何とか誤魔化してきたのに。怖い……。忙しいのを理由に、行きそびれてしまった。

行ってないことが分かっているらしい。どうですか、具合は? 優しい語り口ながら、厳しく問いただす。はい、それほどでも……。行ってくださいね。あっ、はい。

病院のネットワークですごい! サボったことが分かっている。まずい、気分転換、気分転換。次は視力検査。老眼だから、最近やたら文字がぼける。試験のつもりで、開いている方を、右、うーん上かな。下だろう。看護士さん。右0.9、左1.5。えっー、そんな……。前回より大幅によくなっていますね、機械だから、性がないわねぇ。昔のでやりましょう。なんと、最新機械っていい加減なんだ。一巡したら、またやりますね。はい。ぼやけても何とか空きのある方を見つけて、今回も頑張る。少し下がる。まあ、お互いこれで納得。

やっとお仕舞い。着替えて、ロッカーキーを受付に返す。どうしますか、1時間ほどで先生の話が聞けますが……。いえ、結構です。そそくさと離れる。
食事していないから、1階のイタリアンレストランでランチ。ここは組合員が半額で食べられる。ランチなのにコース。パスタは、性がないトマト味。メインは? と聞かれ、魚。これが楽しみだった。一人とは寂しいが、うまい料理で、少しはゆったりした気分に浸れる。前菜から、濃厚なカボチャのスープ、と続いた。と、入り口近くで、ボーイさんと女性が話している。で、その女性、テーブルを回り始めた。隣のテーブルで聞こえた。上の健診センターのものですが、庄子さんでしょうか。あっ、僕ですが。慌てて僕のテーブルに。済みませんが、看護士が呼んでいますので、食事が終わりましたら、上にお出でください。えっ、あっ、はい。あの看護士さんだ、きっと。忘れ物ってこと、ないよね。

9月 30, 2006 心と体, 日記・コラム・つぶやき | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年9月16日 (土)

法則とは、理解するための説明

あなたなら、当たり前でしょうって、何をいまさらって、軽く受け流すでしょうね。物理や科学の法則は絶対でないってこと。
でも、ちょっとスジが違うかもしれないんです。うまく説明できない。でも聞き上手なあなたなら、きっとこのあやふやな話、わかってくれるんじゃないかな。

そう、焦らせないで、じっくり聞いてください。

中学や高校の教科書によく出てくる法則。たとえば、作用・反作用の法則ってご存じですよね。てこを使って大きな石を持ち上げたりする原理。
池に浮かんでいるボートが2艇あったとします。オールで片方のボートを押すと、自分のボートも後ろに下がってしまう。向こうに押したのに、押されたように自分の方も動いてしまう。これも、作用・反作用の法則の例によく出てきますね。確かに、力は向こうにしか向けていないのに、逆の力が働いたように動いてしまう。ここで、ちょっと法則の説明。作用の力に対して、逆向きの等しい力(反作用)が働く。これって、ニュートンが発見した。

当たり前のように思っていますよね。じゃ、壁を押したとしましょう。すると、壁が僕を押し返しているってことになるんです。頑丈な壁だけど、僕が押したら、意志があるみたいに僕を押し返すわけ。これが、作用・反作用の法則。少し変でしょう。僕の力が壁の力を生み出したみたい。おかしいって言うと、ボートの話やてこの話を出す。同じでしょうって。煙に巻かれたように納得できないまま、すごすごと退散。

あなたなら、そんなこと、どうだっていいじゃない。壁押したら、崩れた訳じゃないんだからって、茶化すかもしれませんね。壁に意志なんかあるわけないでしょうって。僕もそう思うんです。ニュートンだって、リンゴが木から落ちたのが不思議だったように、ボートを押したら押し返されたのが不思議だったんでしょう。逆向きの力が働いたって思ったら、大発見。納得できるってことになり、あれもそう、これもそうってなったわけでしょう。で、自然には作用・反作用の法則がある、と言ってみた。おおー、そりゃすごい。不思議がこの説明で納得できるって。
それで、自然には作用・反作用の法則があるって話になる。ちなみに、ボートの話はニュートンがやったわけじゃない。

でも、壁にまで逆の力があるって法則に無理があるでしょう。というか、自然には万物を貫く法則があって、それを発見したんだ。法則を理解すれば、不思議は説明できるって思ったわけでしょう。これが、おかしいって思うんです。ボートの不思議は説明できたけど、壁の説明では変。それを強引に自然法則だなんて、すべてを説明できる法則があるって思い込んでしまう。変でしょう。
押したのに押されてしまうボートの不思議って、作用・反作用で説明できたけど、すべてにわたるかっていうと、そうじゃない。でも、自然の法則が働いているって思い込んでしまう。つまり、自然には法則があって、それに従って説明できるって。個別ボートの現象を説明する作用・反作用が、自然界すべてに行き渡っていると。

不思議を説明できたときの快感は、ものすごいだろうけど、自然界にその法則があるって話になると眉唾なんだけど、そう言ったら袋だたき。常識がないって言われかねない。法則って、不思議を説明するためのものだったのに、その説明が自然界にあって、それを発見したと逆転してしまう。変でしょう。あなたなら、自然界が、誰にとっても客観としてあるから法則が成立するって、先読みするでしょうね。そこなんです。自然を、自然の不思議を知りたいと思って、こうじゃないかって話が、実はそれは自然の法則だって話に変わってしまっているってことです。

だいぶ話、長くなっちゃいましたが、最近こう思うんです。当たり前の話と言われるでしょうが、自然界に法則なんてない。あるのは物事を説明しようとしたときに飛び出した説明。それが誰もが納得したら、おめでとう、法則ってことにしようってお祝いしたい。自然の摂理や成り立ちだなんて、普遍化するのは持ち上げすぎ。

西欧じゃ、古代神からキリスト教に至るまで、神が世界を生み出し、一定の法則の下、自然を動かしていると考えられていたから、法則は自然法則として普遍化してしまうという土俵ができていたでしょう。不思議なこと、不可解なことは、神のみぞ知る。不可解なことを神の法則として体系的に理解しようとするって姿勢は、世界がある秩序で動いているって思うからでしょう。そこに自然法則が生まれる訳があるんだけど、どうもそこが変。
ほらっ、欠伸出てきたでしょう。ですよね。でも、最後にひとこと。法則って、広げなくてもいい。普遍化しなくてもいい。ある現象の説明で充分。普遍化しようとすることで、客観や客体が生まれ、他在としての法則が跋扈することになったんでしょう。

我慢強いあなたでも、飽きてきたでしょう。でも、もう少しうまく説明できるようになったら、また聞いてください。当たり前かもしれないけど、その当たり前をひっくり返したいわけなんです。

9月 16, 2006 学問・資格, 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月15日 (金)

本当の私  自己の同一性と連続性

気:何であんなこと、してしまったんだろう、ってことない?
元:しょっちゅうだね。反省ばかり。そんなつもりなんかないのに、話しているうちに、思いとは別のこと話している。で、本心に話を戻そうとするんだけど、すでに収拾がつかないまま、話題はほかに移る。ヤレヤレと安心することもあるけど、あのときこう言ったでしょう? って蒸し返されると、痛いところ突いてくるって恐れ入る。なぜ本心でもないこと言っちゃったんだろうって考え込んでしまう。

気:その「本心」ってやつだけど、本当に本心ってあるのかな?
元:自分じゃ言いたいことと違うこと、言ったりするわけだから、あるでしょう。

気:それって、もっと違うこと考えていたっていうことだけで、「本心」とは違うんじゃないのかな。
言ったことはやっぱり自分の口から出たことで、いってみれば、それも「本心」。でも、違うこと思っているのも「本心」ってことじゃないかい。
元:「本心」が2つあるのかい? なわけ、ないでしょう。
でも、別のこと言ったのも自分。「本心」と思っているのも自分、ってことはいえるね。別のことだって、ウソ言った訳じゃないから、いわれれば「本心」のようなもの。

気:でしょう。いろんな場面で、違うこと言ったりする自分がいる。これって、いっけん変。でも、これが実態。自分の思いとは違う側面がある。本心と思っているのも、自分の側面と考えてみたら、どうかな。
元:そんなこと、通じないよ。相手だって、どっちが本当なの? って質してくる。自分だって、違うって思ってしまう。
本心とは別のことも、自分だなんて変でしょう。

気:そう、変だけど。それが現実。
僕らは、自己の同一性にすごく拘る。相手もそうだし、自分もそう。でも、自己の同一性って、危ういけど、違う側面を見せながら保っているのが、自己ってものじゃないかな。まったく同じ場面って現れない。相手が違ったり、場面が異なっていたりする。時空間が違う。ひとつの場面でも、その場の流れで違ったことを言ったりする。いくつかのことを考えていて、偶然その場でひとつのことを話してしまった。それが、予定とは違うことを話しただけ。
元:またまた、この話になるけど、多重人格みたいなことかい? 自己の同一性って、多重人格とは相容れないよね。

気:いや、多重人格という表現が適切ではないけど、いくつかの側面をもって、その場その場で適切な対応を取るってことは、現実。これが、自己の同一性じゃないかな。よく「本当の私」は違うって言ったり、思い込んだりするけど、それって自己の同一性に拘りすぎというか、そんな「本当の自分」なんてないのに、あると思って自分を問い詰める。結果、無い物ねだりをする。
元:言い過ぎでしょう、それって。昨日と違うことを今日言ったら、誰だっておかしいって思うでしょう。言いたいことはひとつだから、それ以外は蛇足のようなものじゃないのかな。

気:自己の連続性も、自己の同一性と関係してくるけど、やっぱり違う側面があり、時空間が異なれば、連続性も歪んでくる。
元:居直り過ぎじゃない。

気:もちろん、相手もそして自分でも、君は一体だと決めてかかっている。まったく違うこと平然とその場で語れば、相手にされなくなるだろうけど、似通っていることや筋違いなら、それも君って納得する。そんな風にできている。何しろ、相手の脳で再構成されている自分、自分の脳で再構成されている自分って、どうしても同じにならない。同じにならなくちゃって悩んでしまう自分までいる。で、本当の私はって考え込んでしまう。
無責任かもしれないけど、いろいろな側面を持っているって考え直した方が正しいんじゃない?
元:自己の同一性、連続性との関係で、どこで線引きするの? だって、あなたって、言うたびに違うこと言ってる! とどやされてしまう。

気:君みたいに、場当たりでいい加減なこと言っていりゃ、そう言われても性がないでしょう。でも、それが君ってわけ。どやされて、言い訳始め、何とか取り繕うのが君ってわけでしょう。そのとき、本心は、なんて話したら、さらに言わなくていいことまで話したり、また別な話になって、場当たりってことになる。
元:ねえ、君って、僕を挑発して、何しょうってわけ?

気:違うって。自己の同一性って、危ういものだってこと。現実に同一じゃないのに、そう振る舞いたいだけじゃないかな、ってこと。拘泥する姿って、近代特有なんだろうってことだよ。
元:そうなの? 歴史的なこと、はっきり分からないけど、近代特有なのかな。

9月 15, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月31日 (木)

自我の誕生

きっとあなたは、馬鹿げた話と相手にしないでしょうね。自我や自己の話を。でも、聞いてください。自我にとらわれてしまったアホな人間の話を。自我とは何か、に解答を求めているわけじゃないんです。自分でも納得できないことをしてしまったり、違う自分がいるんじゃないか、などと悩んでしまうことに、何らかの道行きを探してみたいんでしょう。どうして自我に拘ってしまうのか。そのことを自分なりにはっきりできないものか、と探しているんです。

自我って、鏡のように自分を観てはじめて成立するものでしょう。あなただって、つい言ってしまって本意じゃなかったって反省すること、あるでしょう。あなたなら素直に、あらっ、今の失言ね、ごめんなさいっていえるでしょう。悩まずにクリアしてしまいますよね。でも口べたな僕は、その一言が出ないんです。もちろん、その場のタイミングもあります。言いそびれちゃう。でも、何をどういっていいかわからないまま、ときが過ぎてしまうんです。後悔先に立たず、です。で、一人考え込んでしまうのです。このとき、自我を意識するわけです、たとえば。

鏡を見て、違う自分を意識してしまうことがあるように、自我が現れるんです。よく自我って、思春期に誕生するっていわれますね。自分を意識しはじめる年頃ってことでしょうね。でも、少し違うような気がします。自我って、生まれたときから人間が持ち合わせたものなのではないでしょうか。

人によって違うでしょうが、赤ん坊の頃から幼少期までの記憶って残っていませんよね。きっと脳内には記憶されているのでしょうが、シナプスがその記憶に結びつかない程、膨大な記憶が積み上げられ、ほかの記憶に結びついてしまうのではないでしょうか。赤ん坊の頃から自我はあるけど、記憶として残っているもの、自己として確立してくるもの、それが自我だとすると、幼少期を過ぎた頃からってことでしょうか。ということは、自我が誕生するのは、思春期じゃなくて、生まれたときから自我はあるけど、記憶として残って自己を意識しはじめるころから、自我が成立するって考えた方がいいのでは、ってどうですか。

あなたは、なぜそんな詰まらないこと、考えるのかって不可思議に思われるでしょう。僕もそうですが、自我って意識することって、特殊だって決め込むことと裏表の関係じゃないかって、思っているんです。特殊って思うことで、自分を問い詰めたり、他者と違うと強く意識してしまうのではないかってことです。もちろん、個人個人はそれぞれ違うという意味で特殊なんですが、そんな一般的なことじゃなくて、自分の考え方がひどく他者と違うものだと意識し、しかもその特殊性に悩みながらも居心地のいい場所になっているって感じがするんです。たとえば、こんなわけのわからない話をして悦に入っている僕って、特殊だって思っているってことですよ。

この特殊と思っている意識は、自我の現れでしょうが、個人の記憶が明瞭な時期から誰もが抱えている問題といったら言い過ぎでしょうか。自我についてまだまだ言い切れていないのですが、限定し特定することで、開けてくるもの、見えてくるものがあるはずでしょう。それをひとつひとつ紐解いていければ、と夢想しているのです。あなたなら、記憶に残っているときから自我があるって当然でしょう。何も大げさに言わなくても、と呆れ果てているのでしょうが。

8月 31, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月20日 (日)

自我と自己

気:親父さんの胃ガンのこと、書いていたね。どうした?
元:先日、洗面台でカガミ覗いていて、前髪見ていたら、薄くなったぁって、思ったわけ。カガミの前で目が大きいとか、不細工な顔だなって見るのは、「自我」の成せる業じゃないかって、思いついたんだ。

気:おいおい、何、唐突な! 「自我」がカガミを見ているのかい? 「自己」が見ているんじゃないの?
元:自己って、自己満足とかいうけど、自我満足っていわない。自己って、自分を対象化して見ている。自分の有り様を相対化して、自分ってこれこれだって、考えている自分。自我とは、違う。

気:なるほど、自我と自己って、違いがありそう。で、カガミの前では、自己ってどうなるの?
元:そう、で思い出したんだ。親父が死んで、初七日も終わり、帰京しようとした朝、カガミに向かったら、親父の顔だった、自分の顔が。確かに自分の顔なんだけど、親父そっくり。というより、親父の顔が自分の顔なんだ。ビックリさ。親父に似ているとか、思ったことがない。不思議だった。
お袋にそのあと聞いたら、弟の方が似ているって。似ているとかの問題じゃなくて、カガミに親父が映ったんだ。

気:それって、亡くなったことのショックじゃないの。親父さんに見えてしまったんじゃないの、君の顔が。
元:自我が見ているのじゃない、自己じゃないのかな。自己じゃなく幻視かもしれないけど、自己で見るって、たとえば自分のまずかったことを想起することじゃないかな。カガミで見ると、現れる顔じゃなくて、それまでの思いや考えが先行し、実際の顔とはかけ離れたものに見えたりするのではないか、と思いついたんだ。

気:自我で見るのと、自己で見るのでは違うっていいたいわけ? 仮にそうだとして何が問題なの?
元:自我で見るって、見慣れたいつもの顔だとすると、自己で回想したりするのって、顔や表情が違って見えてしまうってことかな。で、違うものだとして、同じときに一度にいつもの顔と、もうひとつ別な顔、見ることってできないから、自我と自己って、やっぱり違う。同一じゃない。しかも同時に捉えられないってことになる。同一性も問題になるけど、同時性も問題になる。
で、カガミから離れて、自我と自己を考えてみると、対象化した自己って、別の存在のよう。

気:君の言っていること、よくわからないけど、昔から自我と自己って違うというじゃない。それと同じこと、言っているのかい?
元:身体の同一性も怪しいけど、とりあえず仮に身体は同一だとしてみよう。でも、自己と自我では同一性を確保しようとする自己がいるけど、自我は同一性を主張しない。自我はすべてのように振る舞うから。その自我を捉え返す自己。しかもその自己を見て、軌道修正を図る自我。自我と自己は相互補完的ながら、それぞれ己を主張するって感じに思えるわけ。

気:二重人格のような話かい?
元:極端に言えば、そういえるが、それを同一性を主張する自己が抑えている。ってことは、自己が自己を相対化し、さらに自己を相対化するってわけ。

気:でも、その話だけ聞けば、君が話しているの、普通でしょう。取り立てて新しいとかってわけじゃない。これまでの近代的自我の構造じゃないの。
元:そうねぇー、違うんだ。カガミでもわかるように、自我と自己は同時性はない。自我が見ているときは、自己は隠れている。自己が見ているときは、自我が抑えられている。同時性がないのに、連続性と同一性は確保されている。ここが、不思議。

気:そんなの当たり前じゃない、一人なんだから。
元:うーん、連続性と同一性を確保しているのは、無限に相対化して変化する自己なんだよ。自我を含んで同一なのに、同時性という面からすると、違うわけ。おかしい気がする。

8月 20, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

せっかちに突っ走った親父

正月外泊を許され、やっぱり家がいい、とコタツに入った親父。小柄で中肉の体は、見た目に痩せてはいない。もうすでに医者から言われた3ヶ月は過ぎていた。医者だって間違いはある。親父の頑張りようも大したものだ。このまま退院といけば、と願っていた。

新築の病院に移り、気分も一新、と見舞いに行った1月。休憩室で話をしていたら、たばこを吸い始める。たばこはダメって、医者がいっていたけど……。何もいわず、うまそうに吸う。これだけの気があれば、助かるはず。苦しくても吸いたいのだろう。言ってみるだけで、止められるとは鼻から諦めていた。
新しい病院の中を歩き回る。何とか自分の体を動かそうとしていた。よく見ると、だいぶ痩せた感じで線が細い。まずいと思いながらも、頭の中で打ち消していた。

頻繁に見舞いに行けば、容体が悪いと感づかれる。悪くないから、来なくてもいいとうそぶく親父。1ヶ月に1回の見舞いにしていた。仕事の関係で少しのびて、3月初旬。彼女と二人で見舞いに。いつものように病室で、どう? 何ともない。お袋からは悪いとは聞いていた。仙台の家で一泊して帰るつもりだった。何とか桜の季節まで、そして夏まで……。

早朝4時過ぎ、電話が鳴った。お袋は病院、わけわからず電話に出る。看護婦さんから。容体が急変したので、家族親族を呼んでください。動揺していた。何をすれば……。普段いない仙台の家。電話帳探して、姉、親父方の親戚、お袋方の親戚に電話。病院に駆けつける。個室に移されていた。お袋が声をかけ、姉貴が声をかけ……。でも、かける言葉が出ない。医者と看護婦が入り、しばらくして、少し回復したとのこと。親戚には、早朝ということもあり、帰宅してもらう。

ほとんど意識は戻っていない。ときどき、お袋や姉貴の声に応えているよう。看護婦が慌ただしく医者を呼びに出て行く。走って医者が入る。いたたまれず、廊下に出る。医者からひと言発せられた。聞き取れなかったが、姉貴が声あげていた。お袋は耐えている。正視できず、下向いたまま、泣くまい泣くまいと耐えていた。

何とも短い一生。58歳。せっかちな性格そのままに、突っ走ってしまった。息子の顔を見てからとは、頑張ったもの。余りに短い人生だった。

8月 14, 2006 心と体, 自分史 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月13日 (日)

生き急ぐ親父

退院後、驚異的な努力で仕事に復帰した親父。誰の目にも、外見はもとのままだった。ただ食後の服用を義務づけられていた抗ガン剤を、食後飲み、トイレで無理にもどしていた。服用をみんなが強制したのに、外見だけ従っていた。なぜ飲んだ薬をもどしていたのか、いまだにわからない。

自分の体は自分の力で治す、という強い思い込みがあったのだろう。薬で誤魔化したくない、という心境か。弱みを見せたくない、と自在にならない体を無理に動かしていた節がある。生き急いでいたような感じだった。

半年ほど休職したあと復職。定年退職まで約1年ほど勤めた。のんびりしていりゃいいんだと、しつこいくらいにいったのに、貧乏性。職業訓練所に入り、半年間、塗装工の訓練。この間、マラソンに挑戦したりと、自分に鞭打っている様子がありありで、痛々しかった。完走したよ、と突然いわれ、いつから走っていた? 毎日少しずつ土手を。
相変わらず食事を小分けにして複数回。薬と一緒に食べたものももどしていたから、体力がつくはずもない。訓練所を出て、塗装工として仕事に就いた。最初のうちは、新しい仕事に意気揚々。仕事、どう? スプレーがよくない。珍しく弱音を聞いた。シンナー混じりのスプレーは、体を蝕んでいたかもしれない。2~3ヶ月で、仕事ができなくなる。癌が進行してしまった。

この頃も迷惑をかけっぱなしの息子。フラフラしていた。少なくとも親父には心配で仕方がなかったはず。心配性でせっかちな親父が、だいぶ我慢していた。このストレスも癌を進行させたのだろう。どう? と聞いても、なに、たいしたことはない、ばかり。お袋によれば、苦しそうにしていることもあるが、気を使わせるだろうと、表だって何もいわない。抗ガン剤さえ飲んでくれれば、と思うが、いまだ癌とはいっていないので、強制する理由に欠ける。うすうすは気づいていたらしい。

6月、再入院。今度は遠い大学病院ではなく、近い病院。さっそく、病院に駆けつけた。親父の顔より、まず主治医にと、アポもとらず、医者のところへ。主治医の話では、あと3ヶ月はないだろうとのこと。あまりのことに、何とかならないの? と何度も問い直した。ほかに言葉がない。再手術は? 体力がもたないでしょう。では? 抗ガン剤治療です。ほかに手だてはないの? 返事がない。

どんな顔を作ればと思い悩みながら、親父の病室へ。どう? たいしたことない。少し痩せていた。先生に会ったか? いや、これから行ってみる。隠してはいるが、顔や仕草に出ているはず。病室でいつもの大声を出すわけにもいかず、元気に見舞いに来た風を装えず、余計感づかれてしまう。しばらく側にいたが、気軽に声を変えられず、また来るよ、と去る。駅まで送るというお袋と歩きながら、医者からの話を伝える。さすがに3ヶ月とはいえず、1年は無理かもと言葉を濁した。俯きながら歩くお袋は、覚悟ができていたのかもしれない。多くを語らず、ただ聞いていた。普段なら掛け合い漫才のように、親子で話すのだが……。

東京に戻って、いろいろと調べた。末期癌に藁をもすがるつもりで、丸山ワクチンを申し出た。1ヶ月に1回、仙台に運ぶ。主治医は、抗ガン剤をやめるし、効果があるとは思えないと反対したが、何とかお願いした。医者はレポートも書かなくてはいけないので、仕事が増えるのだろう。医者の抗ガン剤治療だけでは、歯がゆかった。何度も何度も、もっと早く手を打てば……と悔いていた。親父任せにしたのが、いけなかった。でも、薬を服用しないのだから、手の出しようもない。元気だと答える姿を信じていた。

8月 13, 2006 心と体, 自分史 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 2日 (水)

分身とは

あなたは、もうすでにご存じでしょう。僕がアホな試みに挑戦してみようとしていることを。自分という存在を、いったん否定してみて、何が見えてくるかを。

誰かに向かって話しているとします。もちろん、ウソついているつもりなどありません。でも、話し方が下手ということも手伝っているのでしょうが、少し時間が経つと、何であんなこといってしまったのだろう、と自分を訝しがることって、ありますよね。いわなくてもいいこと、思ってもみなかったことが、まるで他人の口から発した言葉のように出てしまうのです。おっちょこちょい、とか自分の性格のせいにして、その場を取り繕ったりしますが、そんなことじゃないことぐらい、察しのいいあなたならお見通しでしょう。

いわなけりゃよかった、と後悔するというより、そんな言葉を発する自分に嫌気が差してしまうんでしょうね。つもりは全然違うのに、あとで考えれば場違いというだけじゃなく、自慢話に聞こえたり、我田引水だったり。ほとほと自分が情けなくなりますよね。

人前で元気に話したり、動いたり。ときには落ち込んだり。でも、人が気にするほど落ち込んでもいないのに、気を配ってもらったために、その役を演じてしまうこともあります。いつも元気ね、と声をかけられれば、そんなことはないと思いながら、声を張り上げ元気に振る舞うことも。から元気じゃなく、自然に元気に振る舞っているが、どこか隔離したところで醒めた自分がみているような。

こんなことって、誰でもあるって、あなたは慰めるかもしれません。きっと誰にでもあるのでしょう。でもそれって、どれほどにも響いてきませんよね。自分とは別の自分がいるような有り様には。これって、自分を問い詰めたり、自分を甘やかして大事にしたりすることでは、納得がいく方向には向きそうにないでしょうね。

自分の中に棲み着いた分身は、足を引っ張るばかりです。ときには、よくやったなどと慰めてくれりゃ、そうかと、分身と仲良くしてもいいのでしょうが、その場では黙っていて、あとから責め立てる。困ったものです。
この構造を解き明かせないものか、納得いく理解のしかたがないものか、と思い巡らせているのです。あなたがときどき、自分を厳しく問い詰め、袋小路から抜け出せなくなっているのを、みるのも忍びないですし。そういえば、あなたの悩みも深いですね。僕を冷やかしてばかりですが。

8月 2, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月29日 (土)

デカルト「われ思う、ゆえにわれあり」考

西欧中世が暗黒の世界と描かれた歴史は、すでに見直され、キリスト教支配の中にも、独自の流れを持った文化や思想が息づいていた。いまにして思えば、当然だろう。が、僕の学生時代は、西欧古代史のあと、中世史はサラッと撫で、近代の個性あふれる百花繚乱の世界に移っていた。ブラックなキリスト教支配の何百年の軛(くびき)から解放を叫ぶ声は、死を賭けた闘いだったはず。これが、近代のはじまり。

精神的な軛からのあがきは、圧倒的な支配権力から個人を見出すことで、その突破口とした。古代ギリシャのソクラテスが、近代個人主義から捉え直され、理想的な姿のまで称揚された。この懐古主義が中世をブラックと捉えることになる。近代個人主義の覚醒は、キリスト教との闘い。デカルトが、「われ思う、ゆえにわれあり」と叫ぶことで、キリスト教の桎梏から解放されることになる。個人主義の誕生である。

現代ではすでに陳腐化しているかもしれないが、戦後の日本も似たように個人主義が謳歌した。いまもそうともいえるが、くびきからの解放には、「われ思う、ゆえにわれあり」は自明の理として、崩せないすべての前提のようだった。

「神ありて、われあり」の絶対的な思想に対して、「われ」を問い詰め、「われ思う」の「われ」を発見したときの歓びは、神を冒涜する危険思想と隣り合わせだった。一昔の言葉でいえば、過激思想、革命思想そのものだったはず。

すでに個人主義が広範になり、この矛盾も広く取り上げられ、相対化できやすくなった。コギートを改めて問うことも少なくなっている。だが、デカルトの「われ」は、現代でもたやすく依拠できる個人主義の原点である。

「われ」が独立した存在として定立できるのは、「われ」を取り巻く関係性の束の中。デカルトの時代には、関係性=絶対的なキリスト教の世界だったが、個人主義が当たり前の現代では、関係性は悪無限の相対化の宇宙空間。確固とした絶対に対する個という個人主義の発端は、現代では「われ」を追い求めて相対化の嵐の中、個を立てることも至難になるほど。絶対が崩れ、個が存立する基盤そのものがあやふやになる。個を問い続ければ、トートロジカルな相対化に陥る。個を絶対化しようとする矛盾の発露である。

われ思う、思わずにかかわらず、「われ」は、関係性=場で同時的に定立されるもの。「われ」の発見は、他者の発見であり、関係性=場の発見でもある。デカルトは、関係性から独立した個の存在を革命的に立てざるを得なかった。個を絶対化することで、絶対に対置するしかなかった。

ただ、絶対が相対化されてしまった現代、個の絶対化も立てにくいものになる。絶対化できない個は、それでも絶対への想いを断ち切れず、悪あがきをする。一方、絶対化を放棄しても、個を定立する必要上、相対化に走る。そして、悪無限の相対化の波に揉まれてしまう。関係性=場からの個の定立は、あやふやな基盤を前提とした相対化に走る。関係性の中の個は、常に相対化の激動に晒される。ともすると、相対化することで個が定立できる、と錯覚しまうことになる。

ここで、問題なのは、個を前提にすること。個なるものは錯覚に過ぎないという、冒険的で魅力的な言説が他方にあるから。これは、トートロジカルな相対化に巻き込まれているため。関係性=場の個を定立させたいもの。でも一方で、関係性(地縁・血縁)からの解放で個人主義を確立したものにとって、関係性も桎梏でもある。

7月 29, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月28日 (金)

肩こり対策に爪先立ち体操

仕事柄、1日中机の前に座っていると、背筋が硬直し、眼精疲労でショボショボ目になる。特に辛いのが、肩こり。パンパンに張る。首を回すと、痛くて回しにくいこともある。職業病だろう。

以前は、ピップエレキバンを使っていた。1300ガウスの磁石を、両肩に2つずつ計4つ。血行が良くなり、肩こりが和らぐ。効果が抜群だ。1000ガウスの磁石も試してみたが、少し柔な感じで、あまり効果がなかった。もっと強い1500(?)ガウスは、痛みを伴ったので、やめた。

このピップエレキバン、よく効くのだが、毎日貼り替えるのも手間な上、お金もかかる。そこで、何日も付けたままにしていた。お風呂に入っても剥がさないで、自然に剥がれるまで付けていたこともある。張っている皮膚はお風呂に入っていないことになるので、剥がすと、丸くふやけた感じになる。お風呂でよく揉み洗いをしないと汚い。時々は、ホクロになってしまう。両肩に黒い斑点がたくさんある。これには困ったもの。それ以来、肩こりよりホクロを気にして、貼るのをやめた。

背筋を伸ばすと、肩が下がる。無理に背筋を伸ばすと、肩の筋肉が引っ張られ、痛いが肩こりが少しは良くなる。でも、ちょっとした背伸びではすぐ元に戻る。鳩胸の体型。胸張って、頭をグルグルと回す。これも一時凌ぎ。

朝起きると、洗面所に立って歯磨きや洗顔、整髪しているときや、台所の換気扇の下でたばこを吹かしているとき、ガス台の前にいるとき、爪先立ち体操をする。背筋が伸び、肩の張りが和らぐ。本当は爪先立ちで歩く方が効果が上がるのだろうが、家の中でよそよそしく何しているのかと危ぶまれそうなので、誰もいないときやみんなが寝ているときに、廊下を歩く。

爪先立ち体操は、至って簡単。爪先立ちになって直立するだけ。爪先立ちで、上下に伸びたり縮んだりすると、背筋が伸びること伸びること。ときに失敗すると、フラフラしたり、前や後ろに倒れることもあるが、狭い洗面所や台所、手を伸ばせば倒れることはない。毎朝、洗面所の鏡の前で、歯磨きや整髪しながら、伸びたり縮んだり。そのうち、洗面所の前に立つと、爪先立ちする癖がついてしまった。鏡の前で、胸張ってオイチニ、オイチニと上下に動いている姿を家族に見られて、怪訝そうにみられたことがある。何も言葉がなかったが、かえって怖い。何を思っているか。

最近話題のカーボンネックレスを付けてみようかと、手に取ったこともあるが、野球やバスケットの選手のように様になるわけじゃないし、首を絞められそうな感じがして買うのを止めた。当分、爪先立ち体操で乗り切ってみよう。首が回らなくなったら、サウナでマッサージが切り札だ。

7月 28, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年7月25日 (火)

歯磨き

学校で教えてもらった歯磨きは、虫歯予防。当時、食事のあとに磨くことを勧められた。就寝前にも歯磨き、というのは聞いた記憶がない。時代が経ち、我が子どもたちの時代には、虫歯予防に食後はさておき、就寝前に磨くことが鉄則になっていた。

寝る前に歯磨きしたら、口の中が冷たくなり、眠気が覚めてしまう。布団に入ったら、倒れるように眠るのを旨としているので、就寝前の歯磨きはダメ。我が家では、ひとりだけ寝る前に歯を磨かない。

元来、歯磨きに限らず、習慣には無頓着。いまでこそ、朝起きたらひげ剃りのあと歯磨きをする。朝食摂ったら、もう一度歯磨き、と1日2度磨くが、それ以外は歯の手入れはしていない。これでも、まし。
中学、高校時代は、歯磨きをしていなかった。汚い。歯にカスがたまり、ツメですくうことができた。面倒くさい。ときどき、顔洗うついでに、指でカスを取り、ガブガブとうがいしてお仕舞い。

そんな日常だったが、虫歯にならなかった。虫歯にならない人種がいると、どこかで聞いていたが、それは自分のことだと、我田引水。いい加減なもの。

その頃、歯磨き粉「ホワイトライオン」が出た。白い歯が、歯磨きのメインに躍り出た。確かに白い歯は印象が良くなる。たばこでヤニいっぱいの我が親父も、このテレビ宣伝に感化され、「ホワイトライオン」を使い始めた。どれだけの効果があったかは不明だが、少しはヤニが減っていたようだ。ただ面と向かって親父の顔や口を見ることがない思春期のため、よく覚えていない。テレビ宣伝に乗って歯磨き粉を変えた親父が強烈な印象だっただけ。

上京しても歯磨きは、いい加減だった。一応磨いていたような気がしたが、生活同様、食生活もずさん。知らぬ間に虫歯になっていた。奥歯に穴がポッカリ空き、眠れず、かといって保険証を持っていないので、医者にもいけず、悶々とした日々が続き、堪らず薬局に駆け込んだことがある。夜中からズッキンズッキンと音がして、こりゃ我慢の限界と、陽が昇るのを待ちかまえていた。一刻一刻が長い。やっと9時前になったので、薬局に出かけたら、日曜日で11時開店。アパートに戻って堪え忍び、やっと手に入れたのが「シンコンジスイ」。効く。痛みがなくなり、ハレも引く。

これがいけなかった。痛みがなくても、虫歯は進行する。薬で痛みと腫れを抑え、何とか日々を過ごしているうちに、虫歯の穴が大きくなっていた。激しい歯ぎしりで、虫歯が欠け、歯の形がなくなったことまで覚えているが、歯医者に行った記憶がないから、そのまま薬で誤魔化してしまったようだ。本当にいい加減なもの。

7月 25, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月10日 (月)

元気玉

あなたは問題を一人で抱え込んでしまいがちですね。悩んでしまうと、自分のせいにしてしまう。誰がいいとか悪いとかではなく、自分が悪いのだと。人のせいにすることの醜態をいくつも見てきたからというわけではないでしょう。自分の至らなさが問題を作り出していると責めてしまいますね。

あなたのせいじゃないとか、誰でも同じようなことがあるなどという言葉は慰めにもなっていないのでしょう。自分の内的論理には、他人など入り込む余地がないのでしょう。誰かに相談したから解決するなどと思えないし、解決した試しもないのでしょう。

悩みが深まれば、自己回路も狭まり、頭痛の種も増えてしまうのでしょう。わかっているんですよね、元気さえ出ればきっと脱出できるって。でも、ほかの人から頑張れとか、元気を出せなどと励まされるのが、逆に自分をさらに閉じ込めてしまうのでしょうね。何を頑張ればいいのか、何に向けて元気を出せばいいのか考えてしまうんですよね。元気を出しても空元気で、そのあとの虚無感を想像できてしまうんですよね。頑張れの激励がプレッシャーになり、逆に萎縮してしまうのでしょう。気軽に頑張れなんていって欲しくないのでしょうね。

ご存じですか、『ドラゴンボール』で孫悟空がみんなから少しずつ分けてもらう元気玉。

雨が落ちてきたかなって、手を前にかざしますね。手のひらで雨を受けるように。孫悟空は両手を高く上げますが、雨を受けるようにかざした手で、元気を受け止めてみませんか。生きているみんな、花や木たち、昆虫や魚たち。ほんの少しずつでいいから、元気を分けてねって願いを込めて。孫悟空のように燃える元気玉を作るには修行がいるでしょうが、生暖かい雨しずくなら受け止められるかもしれませんよ。

7月 10, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 8日 (土)

権力関係とメディア

人間関係には、何らかの権力関係が成立する。明示的な権力構造もあれば、陰に隠れる権力関係もある。直接的な場だけでなく、メディアと介した間接的な関係でも同じように権力関係は成立する。直接的な関係ならば意識しやすいが、メディアを介すると解き明かしにくいことが多い。

直接的な人間関係の場合、この権力関係が固定することもあれば、場面で変化することもある。ところがメディアを介した関係は、固定しがちである。メディアが双方向性などと騒がれても、基本的には固定した関係の中で、流動化するだけ。マスコミで登場する政治家は常に権力的な存在にならざるを得ない。この自覚があってはじめて、メディアを通じた発信が有効性を持つ。

権力臭に敏感になれば当然関係の胡散臭さが見えてくる。権力の大小にかかわらず、固定した権力関係は関係を閉じたものにしがちである。

権力とは自己増殖するものであり、留まることを知らない化け物だ。権力の大小にかかわらず、権力を持っているものは権力の自己増殖性にも意識的である必要がある。ところが、渦中にあるものにとって外の世界が見づらいように、権力者は関係の外が見えにくくなる。直接的な人間関係なら、相手の反応で判断できることもあるが、メディアを介してメッセージを流す場合、相手の反応を想定する以外、権力性を意識することはできない。

マスメディアが肥大化し、直接的な関係にもメディアの権力関係が反映されるようになると、間接的で一方的な権力の伝達構造となる。すでに権力の自己増殖を助長するものでしかなくなる。人間関係の中に潜む権力関係に自覚的でなければ、メディアと権力の自己増殖に歯止めをかけることはできない。権力の拡大と自己増殖は、ファシズムに繋がる。

一方的にメッセージを発するものは、権力関係を見据え、自己増殖性を助長させないように意識的であれねばならない。

7月 8, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 4日 (火)

鏡の中の自分

朝の洗面台の奪い合いは、壮絶。ドライヤーやスプレー片手に、鏡の前から動かない。出かける時間が重なると、長居しているものは嫌味の対象。誰も君なんか見ていないよ!

そう確かに髪のちょっとした形まで誰も見ていない。ウェーブや寝癖を気にしているのは、当の本人。人が見ているはずと気にしてもうひとつの目。鏡を見ている目と、人の視線に成り代わろうとしている目。

すぐには寝癖なんか直らない、と諦める第一の目。いや寝癖のまま歩いていると陰口叩かれる、と焦る第二の目。拘泥が第二の目の視線を鋭くする。第二の目は、他人の目がそこにあるように自分を点検する。ダメ、こんな状態じゃ歩けない。必ずあとでひと言ある。嫌味ならまだしも、身だしなみや生活習慣まで質されてしまう。第二の目は怯えて取り繕うと焦る。

そこに、「気をつけろよ」。悪魔の囁き。そんなに焦っても修復不可能なんだよ。だらしないのは、もうお決まりさ。ムリムリ。どうあがいたって、君の存在はドライヤー如きで解決できるようなものじゃない。諦めがつかない限り、存在自体を次々と落とし込めてしまう悪魔。第二の目と悪魔の争いは、鏡を前にしている第一の目を無視して泥沼の闘いになる。

何とか格好さえついて、誰にも気づかれなければと、クシが動く。そんな他人の目を気にしたって、すでに君の存在自体が嫌われているのさ。他人の目がなくても、こんな自体を招いた君の有り様が問題なんだ。悪魔はどこまでも増長する。

髪如きで存在まで否定するとは何ぞ、と誰かどやしつけるものはいないのか、自分の中で。

7月 4, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

床屋でリフレッシュ

頭がゴチャゴチャのときって、髪を切るとスッキリ。いつもは1ヶ月に1度は行くが、ドタバタ続きで1ヶ月半は過ぎていた。ちょっと伸びましたねぇ。開口一番、この言葉にいつも後ろめたくなる。客なんだから、いつ来てもいいじゃないかと居直りたいが、めげてしまう。

もう10年以上通っている理髪店。腕がいいとか値段が安いとかじゃない。とにかく座って目をつぶっていれば、はい出来上がりがいい。前髪は? 後ろは? 髭は? いろいろ尋ねられたって、とにかく切ってあればいいの。どうせ格好なんかつかない頭。サッパリしていれば、それでいい。髪に限らず、格好気にしても土台がダサイのだから。せめて伸びたウザッタサを解消して貰えればいい。

普通に、などと答えようものなら、刈り上げにしますか? などと詰問される。電気椅子に座ったようで居心地が悪い。いつも通りでいいですか。はい。これでOK。いつも通りに仕上がっているかどうかなんて気にしていない。

目をつぶっている。カシャカシャとハサミの音、髪を梳くクシの当たり。柔らかく撫でたり触られたりするうち、石頭の表皮がふやけてくる。柔らかい時間が流れる。目も重くなる。いかがですか、と後ろを見てくれと手鏡をかざす。目を開けて、はい。見てない、どうでもいいの、刈り具合なんて、切ってあれば。すぐ目をつぶる。頭皮の刺激のあとは、シャンプー。座ったまま頭モミモミ。シャンプーの泡に包まれ、指のマッサージ。頭の中心部に刺激が伝わる。摘むようなモミ方、禿かかって突っ張っている頭皮にシワを寄せる。ウーン。もっともんで。ハイッ、流します。そう、いつもいいところで洗面台へ。この格好、すごく変。酔っぱらいが反吐はかされている感じ。口を閉じても入ってくる。目に入りませんでしたか? いやと頷くのは精一杯。口の中、お湯があふれている、鼻も。タオルで目はよく拭いてくれるが、口と鼻は軽い。口に残ったシャンプーまみれのお湯はどうする?

頭起こして座り直すと、髪を拭き、頭モミモミが始まる。凝ってますねぇー、と頭から首筋、肩、背中に移る。少し強いが、これが堪らない。肩に力が入ってしまう。手もみから最後は電動モミ器。肩、背筋と振動が伝わる。だんだん前屈みに。ランチのあとなら、もどすかもという姿勢。お腹にズズーンと響く。電源オフ、突然の静寂。余韻が体を震わしている。

横になります、の声で仰向けになり、熱いタオルが来る。アチッチと叫びたいのを堪えて身震い。面の皮が厚いのだろう、蒸しタオルを3回4回と替える。やっと、ひげ剃り。プロの腕の試しどころ。必ず血が出る。剃っているときはわからないが、最後の蒸しタオルのあと、傷口に軟膏。ピリッと来る。またですかぁー、と黙っている。

この床屋の嬉しいところは、耳の周りの毛をスゥーと剃ってくれる。電動カミソリで、耳の中の毛もきれいに。鼻毛もカット。日頃気になってもなかなか剃れない。目の上にそっと手ぬぐいが載る。眉毛のカット。白いものが出てきた頃からお願いしたオプション。不揃いな眉毛も切る。白いものが混じると老けて見えるらしい。いいとこ気が付くねぇー。村山元首相の白混じりの長い眉毛だけは、願い下げだ。

一通り終わるのに約1時間。頭はスッキリするが、頭の中はボーとしたまま。歩きながら日常に戻る。3,700円は安くないが、リフレッシュには最高。

7月 1, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月25日 (日)

特濃ミルク

先日電車の中で、山歩きと覚しき年配のバックパッカー。取り出して口に入れたのが「特濃ミルク」。味覚糖のミルクキャンディー。電車で口に入れている姿が様になっていた。毎日薬代わりになめているので、友達のように思えた。

売れている、ナンバーワンらしい。家には必ず置いてある。会社にもある。口に入れると、甘さが広がる。せっかちだから、そのうちガキガキッと噛みつぶしてしまう。人間が甘いから、フルーツキャンディーやコーヒーキャンディーより合う。

胃酸の逆流との闘い。クリニックで寝る前に牛乳がいいと勧められていた。膜作るからと。牛乳はもちろん飲む。でもそれほどの効果もない。それに牛乳は切れていることもある。噛んで飲むマーロックプラスが、製薬会社の合併で販売停止になり、合う市販薬が見つからない。医者からもらうのは信用できない。強すぎて胃酸を抑えるが、胃酸も然る者。習慣化すると、胃酸も負けていない。結果、効き目が弱くなり、もっと強いものを求めるしかなくなる。

体は正直だ。強い刺激には強く反応する。仲良くお付き合いするのが一番。
そこで編み出したのが特濃ミルク。寝る前に一粒なめ、しばらくしてもう一粒。不思議なことに胃酸を刺激しない程度がいい。結構効き目がある。口の中甘くなるが、甘党だから気にならない。劇薬より健康的で、胃酸を騙すにも格好。さすがにアルコールなど刺激性のものは胃酸をたたき起こしてしまう。特濃ミルクでは立ちゆかない。
でも、胃酸とのだまし合いには特濃ミルクは最高だ。

6月 25, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

老眼とテレビ観戦

気:最近はどうなの老眼?
元:いやーまいったね。先日なんかパソコンの字までぼやけ、涙が出てまともに読めない。二重三重にボケている。仕事にならない。しっかり見ようとすると、ショボショボする。涙が出て困った。

気:もう年だよ。眼鏡かけなくちゃ。持っているじゃない、眼鏡。
元:眼鏡も点眼液もダメ。本当に困った。
昨日夜遅く帰ったら、娘がテレビを見ていた。夕食摂りながらテレビを見ていたら、ボケボケの目がしっかり見える。なに、これっ!

気:目が好きこのみするのかい。テレビは楽に見れて、パソコンはボケボケって。
元:気が付いたんだ。日曜日、本当に久し振りにテレビ見た。ワールドカップのサッカー。8時頃から1時頃まで5時間ほど。このテレビ観戦の疲れが出たんだ。
ほらっ、スポーツしたりすると、2日後ぐらいに体のあちこちが妙にだるくて変なこと、あるだろう。おかしいな、思い当たる節は? これが2日前のスポーツだったりする。
それと同じ。この数ヶ月テレビ好きの僕が、ろくにテレビ見ていなかった。

気:急に長時間テレビを見たからってわけ? 年じゃないっていいたいの?
元:テレビを見ていたら、ボケボケが直った感じで楽になった。そう思ってみたら、楽になって、今日なんか前と同じように見える。字がぼけて涙が出るってことがない。

気:ほら確か、目の体操しているって。それに車動かして目を矯正しているって、いってたよ。
元:疲れすぎると、朝から目の体操する気もなくなる。声だって出したくなるんだ。車なんか、ここ3ヶ月ぐらい乗っていない。可愛いセレナちゃん、泣いてるはず。

気:そう、パソコンとか身近なものにしか焦点が合わないようになっていたわけか。
元:テレビ見ていたら、別な動きをするので疲れたんだ。老眼じゃなく、テレビの見疲れだったってわけ。もう回復した。楽になったよ。

6月 22, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

独立性と共同性

あなたなら、すでにお見通しでしょう。僕が傲慢不遜なことを。何でも自分でやってしまい、自分の手柄にしてしまうことを。自分だけでは何一つできないのに。

面白いこと、やらなくちゃいけないこと、頭の中でクルクル回転してしまうのです。回転と同時に膨れあがってしまうイメージを抑えることなんてできません。このイメージが人に伝わらないと勘違いしてしまうのでしょう。確かにいろいろなことをやってしまいます。が、それが落とし穴ですね。自分だけでやっているみたいに錯覚してしまうのです。

Rimg0044_1024 1つとして自分だけではできません。そんなこと当たり前と言われるかもしれませんが、膨大に拡がり自立運動を始めた銀河のように、その流れを押し留めることはできなくなってしまうのです。結果、多くの人に誤解を生んでしまいます。というか、そのように対してしまうのでしょう。言葉では協力なくしてできないと対しつつ、成したことは自分の業との思いでいっぱいなのでしょう。

何でもそうなんです。仕事、家族、地域、友人、コミュニティー……。関わってしまうと、世界がそのことを中心に回り始めるのです。何らかの形で関係していても深みに入ってしまい、いつしか回転の中心で動かしていると実感できないと収まらないのでしょう。

人は関係の中でそれぞれの動きをすることは、当然といえば当然なのですが、これを人ごとのように客観振ることができないのでしょう。ある距離を保ちながら独自の関係を築こうとする人がいるとしましょう。強引に巻き込んでしまうのです。それがさも正しいことと押し付けながら。迷惑ですよね。

でも、わからないのです。協力して成そうとしているそのことに、距離を置いてしまうその関係が。巻き込む-巻き込まれる、という構図だけでは成立しないのが関係でしょう。そのような観方が成立する時点は確かに存在します。独善的な僕の動きやイメージがその関係性を固定化させるのでしょうね。そして、それが傲慢不遜なものとして捉えてしまい、自分を追い込んでしまうのかもしれません。何一つ自分では成し得ないのに。困ったものです。

6月 17, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月15日 (木)

おやじギャグ now on delivery

気:おや、ネット碁やっている。どう、おもしろい?

元:相手の顔見えないから、口三味線が効かない。僕の囲碁って、口で勝つわけ。口車に乗ってこないから、負けちゃうよ。もう飯でも食いに、いごこう!

気:じゃ、僕から。
もうヤケ酒でも飲むしかないよ。えっ、課長も一緒かい。ヤケー!

元:イマサンくらいかな。では。
なんか旨いもの食べたいねぇー。腹減ったよ。でも金ないね、うまくない。

気:食い物の話ばかりだ。ろくに食べてないでしょう。

元:うん、食べ物の話は禁句だよ。飽食がたたってダイエット中なの、キングだから。

6月 15, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月12日 (月)

更年期障害と五十肩

先日、久し振りに友人に会った。博多からの出張の帰り、飛行機で帰るまでの少しの時間を会社に寄ってくれた。忙しいから外で会うのは難しいが、来て貰えるのは嬉しい。

まったく変わらない。少し年をとった気もするが、相変わらずの態度と声の大きさ。話はいろいろと進展したが、おさんどんの話になる。どうした、と聞いたら、更年期障害。そう、君のところもそうかい。うちもだ。僕は忙しくて、最近まったく何も手伝ってやれないけど、彼はまめ。でもかなり嫌味を言われるらしい。そうなんだね、はいはいと聞いていないと、相手は機嫌が優れないから、逆らうものなら何を言われるかわからない。でなくても、いろいろいわれるわけだから。

とにかくハイハイと聞いているといって、相手の機嫌を損ねないようにしているだけ。きっとあと10年もすれば、クリアしてくれるのではと二人で忍の字だねと苦笑い。男にもそれに値するものがあるか。五十肩って、そうかな。人にもよるが、けっこう肩が凝って仕方がなかった。最近は昔ほどではないから、きっとあの状態が五十肩なのだろう。結構長かった。四十肩から五十肩と、ほぼ十年ほど。

でも、気分的にめげるというわけではない。
彼女が風邪引いて寝込むと、意識していないが、自分も風邪引きたくなって、本当に引いてしまい、結果移されたことになり、寝込んでしまう。いいねぇー、って嫌味いわれる。寝ていることもままならない、風邪引いたらうつったといって、何もしないで寝込むんだから。えー、そんなうつされたんだよ。

だから、できるだけ寝込まないようにしているようだ。丈夫だけが取り柄だったが、更年期障害だけは避けて通れないようだ。あと十年ぐらいは、はいはい、の生活か。

6月 12, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月11日 (日)

右脳的論理思考

気:最近、脳の研究が進んでいるね。CTスキャンでどの部位が働いているか、わかる。
元:一般に、論理的な思考は前頭前野や左脳、情緒的な感情は前頭前野と右脳、っていわれてたけど、かなりいろいろな部位が関係していることがわかってきた。脳のトレーニングでも、意識的にこのトレーニングを反復している。

気:で、君なんか、左脳人間かい、冷血だし、人間の優しさってものが欠けているよね。論理だけじゃダメだよ。
元:違うだろうね。数学とか理科とか、社会とか好きだったけど、他の人より確実に覚えが悪かった。みんなよく覚えられるなあ、って感心していた。理系のように見えるけど、文系でもないし、なんかいい加減。だから、冷血と見られるんだね。

気:だって、計算とか得意でしょう。
元:あれは、トレーニングのせいだよ。繰り返しトレーニングすると、右脳だって、左脳と同じように論理的な思考が身に付くらしい。左脳が機能麻痺した人間が、右脳でも論理思考をしていたという記事を見たことがある。必ずしも右脳は論理に弱いというわけではない。ただ、右脳と左脳が両方とも機能している場合、分担してやっているのだろう。

気:君は物忘れが激しいけど、若い頃からかい。
元:そう、右脳で論理思考しようとするから、シナプスの連絡がうまくいかないのではないかな。

気:それって、若いときから認知症っていうか、若年寄だったってこと?
元:左脳はあまり使っていないんじゃないかな、きっと。右脳で論理思考しようとするから、無理がたたる。

気:だからか、仕事が遅いのは。考えはじめると、途端に支離滅裂になってパニックになっているね。
元:いやあー、失礼。あれが左脳を使えない人間の姿さ。まあ、論理は無理だね。感情だけが先走る右脳先行だね。

気:じゃ、頭を右に傾げているのは、右脳が重いから?
元:そう、傾げているかい。あれは、体の中心が右側にずれているからかと思っていた。中味は空っぽに近いけど、左より右の方に傾いているのかな。いずれにしても、右脳の無理強いが感性も潰し、論理もハチャメチャになり、ろくでもなくなってきたね。これじゃ、体が弱る前に頭がいかれちゃうな、きっと。

6月 11, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

ひよっこ

人に何かを求めている訳じゃないが、後から考えると頼っておんぶされていたってことがある。誰でもあるのかもしれないが、これに気付いたときの情けなさにめげてしまう。

仲間と民間の教育団体をやっていたころ、とにかく食えない。みんなでバイト探し。スペースシャトルがはじめて飛んだころ、スペースシャトルの本の下書きの仕事が舞い込んだ。何でもやるといっても、ライターなぞ経験のない仲間。もの書きはいたし、いろいろと書きなぐったこともある。論文もそれなりに我流ながら書いたこともある。ただ下書きとはいえ、商業ベースの本の原稿、書いたことはなかった。

打ち合わせを終え、みんなで分担して書いて持って行った。2人だけのプロダクション。でもかなりの実力で、ひっきりなしに仕事が飛び込んできていた。そのお手伝いだったのだが、パラパラ原稿を読んで何もいわない。元来喋るのがうまい人ではない。酒が入らない限り、日頃はムッツリ。僕と似たタイプ。とにかく言葉がない。で、忙しいのだろう。自分の机に向かって仕事を始める始末。エーッ、なに! ただ黙って言葉がかかるの待っていた。

10分ほどして、もう一人のお姉さんが近づき、いつもこうなのよ、きょうは帰った方がいいわ。どうなるの? 徹夜とまではいかないが、せっかく頑張った仕事。書き直しとか、ここをこうとか、言葉があるんじゃないの? でも忙しそう。ではまた連絡しますー、とから元気でドアを閉める。

結局、その下書き、戻ってこなかった。もちろん、少なかったが原稿料はちゃっかりいただいた。

あるとき、本屋のコーナー回っていたら、この本じゃないのと、手に取った。僕が担当したあたりを見る。うろ覚えながら、まったく違う。文章の組み立て、修飾のしかた……。スペースシャトルの写真の説明なんか、踊るような感動。見てきたような表現。そこまで資料があった訳じゃない。図面や新聞記事、学術誌の切り抜きなどわずか。プロだと思った。ここ、ここです。

甘えていた。何か助言なり方針なり、書き方なりを指導して貰えると。そんな甘い話はない。知り合いだったことに、つい寄りかかってしまった。要求されていたのはプロ。ひよっこだった。
書ける技量もないのに、頑張ったという自負心だけ。ちょっと滅入ったけど、そうしたからってプロの技が身に付くはずもなかった、今に至るまで。

5月 24, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月15日 (月)

動揺するアイコンタクト

あなたは意地悪です。僕が目を合わせられないことを知っていて、じっと見つめてくるのですから。余計恥ずかしくなって、赤面しちゃうじゃないですか。

よく人の目を見て話せって、学校で教えられました。でも、目を見てしまうと、話せないんです。話すこと忘れたり、上気してしどろもどろになってしまうのです。反応が顔に出ているじゃないですか。渋い顔、嫌な反応、悩んでしまう仕草、違うなといきり立った顔……。見てしまうと、話が止まってしまうんです。

中学1年の中間テストから試験という試験、必ず上がっていました。緊張したり、正視したりすることに耐えられないのでしょう。もうこの年ですが、変わらないんです。どうしても顔見て話さなくちゃいけない場面ってありますね。顔の奥の背景をボーと見ています。何十人、何百人を目の前にしたら、一番奥のさらに遠くを見ています。柔道で組んだとき、千里を見るように指導されましたが、あれです。人前ではいつも上がって動揺しているのですから、顔の表情なんて分からないのでしょうが、でも顔が現れるだけで話せなくなるのです。

目に入ってこようとする表情や仕草を遮断して、いいたいこと、いわなくちゃいけないこと、話してしまうんです。ですから、会話にならないです。会話って、相互に話しますよね。お互い話を交わす場面と分かっていたら、目を見なくても目のあたりを見ていれば、何とか話が続くじゃないですか。なので、相手の顔ってよく覚えていないんです。眼鏡、ほくろ、ギョロ目、二重、団子っ鼻……。あとで思い出そうにも、優しい感じとか、強面、神経質などとイメージだけが現れ、具体的な目鼻立ちを再現できないんです。

しかも、ご存じのように、話が長いのです。呆れてしまうでしょう。もちろん、話がまとまっていないってこともあるのでしょうが、うまく切れないんですね。あなたなら、これは話させておくしかないって長期戦覚悟するか、いったん切ってしまおうといきり立つか、判断できるでしょうが、ほかの人にはそんな手練備わっていませんよね。結果、喋りまくるってことになります。直せるとも思っていないので、迷惑のかけ通しです。

5月 15, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 7日 (日)

振り回される脳年齢

あなただって、きっと自分の年より若いと思っているでしょう。若いといわれれば嬉しいし、老けていると見られるのは心外のはず。エステ、ヨガ、水泳、ウオーキング……。日ごろの努力にもかかわらず年相応といわれると、なるほどと、ほくそ笑んでいられますか。

巧妙に人の心理を突く脳年齢。物忘れが多くなった、名前が出てこない、ほらほらあれよあれっ、と年を自覚することは誰にでもあるでしょう。悠然と関係ないと達観しているあなただって、この魔術にははまってしまいますよ。

うまいんです、「脳を鍛える 大人のDSトレーニング」って。前提があるんですよ、自分は若いはずっていう思い込み。あなたもご存じのように、少しバカにしていたんです、脳年齢を。さっそく箱開けて、充電に1日にかけ、はじめてみました。テレビのCMで松嶋菜々子がグー、チョキ、チョキチョキチョキッ、って叫ぶわけ、わかりました。音声認識が正しくないのです。

ここまで話せば、あなたならきっとお見通しでしょう、ストレス昂じている姿を。

初日は41歳。でしょう、当然、若いんだから。自信満々。布団に入ったんです。いつもなら疲れているから、ものの10秒で寝入るのに眠れないんです。なぜ? そう、頭が興奮しているんです。寝なくちゃ、明日仕事にならない、と焦れば焦るほど興奮が続くんです。確かに効果てきめん、脳が活性化しているんです。でも寝不足は想定外でした。頭がスッキリしている午前中がお勧めと、説明書に書いてありましたけど。

翌日、夜中2時。遅い夕食を摂り、風呂出て、さあ今日は30代かと電源を入れたんです。もう遅い、声上げるわけにはいかないと、画面だけでトレーニング。文字がショボショボで読みにくい、時間を気にして焦る、漢字の誤認識。正しい漢字なのに別の漢字にされてしまう。で、65歳。それはないでしょう。仕事疲れとはいえ、そこまでは。確かに少し頭が重いんです。ガラガラッと鈍く回っている様子。

再戦期した翌日は64歳。翌々日は61歳なんです。時間が遅く、忙しくて疲れているなんて言い訳、通じないじゃないですか。3日続けて60代ですよ。もう呪われてしまっていましたね、魔術に。夜半がいけないと、少し早く帰り、着くなりはじめたのが11時半。それでも61歳なんです。体力は諦めても、頭だけは老けたくないと思いますよね。ところがこの結果です。

ご存じのように3日坊主。嫌気さして、もういい投げよう。でも最後にと、挑戦してみたら36歳なんです。わかりますよね、苦笑いしている顔。笑ってください、30代を3日続けないと収まりそうもない、この姿を。

5月 7, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年5月 3日 (水)

3ヵ月を迎えたブログ

3日、3週間、3ヵ月、3年。そこまで辛抱だよ。そこ過ぎれば何でも続くよ、と何かについて拙速な僕をたしなめていたのはお袋。この言葉は頭に焼き付いている。その3ヵ月という節目を迎えて、自分でもこのブログ、よく続くなと感心している、人ごとみたいに。

5gatu0162_240 何をどう書くかは結構悩み、気持ちの整理もして臨んだブログ。人には軽い気持ちで、と勧めてみても、自分じゃそうもいかなかった。忙しけりゃ、単細胞ゆえ、ブログなんかに構っていられないはず。厳しい納期に、はかどらない作業。昔のイメージで励んでも気は急いて、ひとつとして思うに任せない。そこにブログ抱えたら……。結局投げやるに決まっている。なら、しない方がまし。
今日だって世間的には休み。でも仕事虫ゆえ、オフィスでパソコンに向かう。気持ちに余裕がない。

ふと思うことがある。このブログって、お仕舞いにしようとしているんだって。自分史なんか書いていると、これまで焼き付いていた記憶だけでなく、ひとつの切り口から次々と忘れていたことが浮き上がってくる。自分でも、なるほど、そういうことだったのか、と納得してしまう。こだわっていた地縁血縁というテーマにしても、関係ないと思っていた記憶が連綿と繋がってくる。断片的だった記憶が意味を持って再構成され、現前に大きな姿を現す。その歓び、嬉しいものだ。

僕の神様が言っているのだろう。言ってみたいことあるんだろう、山ほど。で、それ言ってみなって。昔のことだけでなく、現在、そして明日のこと。切りないほどある言説を紐解いて語ってみて、どこまで続くか、やってみな。

ブログをはじめて多くのことが見えてきた。驚天動地。精神世界でのコロンブスのアメリカ発見のよう。まだまだいい足りていないことを、稚拙な表現ながらまとめてみよう、って改めて思うこの頃。僕の神様も勧めているようだし。まだまだお付き合いいただきたいものです。

5月 3, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月29日 (土)

時代はめぐる

「若い者を戦地に送り出してはいかん。戦争はこりごりだ」と、反戦の集会やそのあとの飲み会でボソボソと語るお年寄り。正直、煙たがっていた。若者がほとんどの会場に顔を出したお年寄りに、何か場違いな印象を持って耳を傾けていた。そういったって、僕らは感情論だけで戦争反対を叫んでいるわけじゃない。戦争に突き進もうとする世界を変えたいんだ、といま思えば傲慢さを露わにしていた。

若者の勢いに居ても立ってもおられず、場違いも覚悟し、批判の矢面にあうかも、と怯えつつ顔を出したご年配。そんな思いに至ることもなく、戦争世代を軽視していた。

政治青年の僕には、軟弱なフォーク歌手・吉田拓郎は好きになれなかった。ただ「イメージの詩」には、ソウ、ソウ、と喝采を送っていた。

古い船には新しい水夫が
乗り込んでいくだろう
古い船をいま動かせるのは
古い水夫じゃないだろう

なぜなら古い船も 新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海のこわさを

お年寄りには一線から引いてもらおう。これからは僕らが新しい世界を作るんだって、古い世代に対抗しようとしていた。彼らの戦争反対の思いを受け止めて一緒に新しい世界を作る、なんて考えだにしなかった。

いま現実に戦争を目の前にしているわけではない。が、イラクに自衛隊を派遣している。アメリカが強権的に推し進める世界戦争政策に追随して日本政府がいる。次にイラン、北朝鮮と狙いを定めている。

反戦集会に恐る恐る顔を出した中高年といまや同じような歳。立場が逆転してしまった。古い水夫と呼ばれる歳。枯れる一方で、ウザッなどと煙たがられる親父世代。あのとき登場したお年寄りのように、若い者に向かって一緒に頑張ろう、なんて声を掛けられるのだろうか。

先日の毎日新聞夕刊で、演歌歌手の都はるみ。戦争になって徴兵制で戦地に行くのは若者。私らは戦争に行くわけじゃない。だからこそ、若者に戦争に行かせるなって言えるんだ、と意気軒昂だった。あの都はるみから想像できない言葉。でも、そう、いまこそ古い水夫の出番なんだと納得させられた。子どもを、そして孫を、戦争に送らせない、っていえる立場になったことに戸惑いつつ、この想いは言葉に出さなくちゃ、反戦の意志は広げなくちゃと思いを新たにした。あのとき現れたお年寄りのように、立場の違いを超えて言わなくちゃいけないことってあるんだ。いま癌から復帰してまた叫び始めた吉田拓郎のように。

吉田拓郎「イメージの詩」の歌詞を借りました。

4月 29, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月16日 (日)

苛立ちと体内リズム

近頃のあなたって、苛立っていますね。見かけこそ、あなたが装っているようにいつもと変わりませんが、ときどき見せる焦った仕草、思いとどまったひと言、戸惑ってやり場のない顔。知らずに誰かの視線を感じるように、あなたの苛立ちもその場に居合わせているものに、電磁波のようにトゲトゲした生暖かい気を伝えているんです。

何に苛立っているのですか。
相手のひと言に頷きながらも釈然としないなど、その場限りの苛立ちじゃないんでしょう。何か胸の奥に沈んだ澱がナマコのようにゆっくり不規則にうごめき、得も言われぬ不気味な不整脈のごとくザワザワと揺り動かしているのでしょうか。特に気に障ることがあるわけでもないのに。

苛立ちって、体内リズムのズレによって発生しているのでしょう。体内リズムと一概にいいますが、実は基本リズムと状況リズムから成り立っていて、2つのリズムのズレが感情の起伏を招いているようです。基本リズムって、体内時計と似ていて、赤ん坊の頃なら大きなウェートを占めているのでしょう。ところが、家族、友達、学校、社会と関係を持つうち、徐々に状況リズムが形成され、あるときは齟齬を来したり、あるときはタイミングが合って落ち着いた安寧に身を任すことになるのでしょう。

体調が優れないとか、知らずに体が不具合に陥ると、基本リズムが乱れるらしいので、体をオーバーホールしたらいかがですか。田舎の温泉で日がなのんびりしてみたら、基本リズムも落ち着くのではないですか。

状況リズムの方は少し難しいでしょうか。基本リズムとハーモニー取れるといいのでしょうが、案件と思われることをひとつひとつ片付けたとしても落ち着かないですよね。澱を取り除くのって無理でしょうから、沈殿させて上水が透明になるようにしたらいかがでしょうか。もし知らぬ間に早足になっているのなら、ゆっくり歩いてみる。寝付けないのなら、いま流行りの脳トレーニングゲームでもしてみますか。返って逆効果かな。癒し系の音楽もいいですかね。おいしいものを食べたり、ショッピングして自分にご褒美ってどうですか。

えっ、こんな語りをしている僕の存在が邪魔だって。それは失礼しました。

4月 16, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 7日 (金)

さくら一片

Koisikawa0021_800 紙袋の中身取り出したら
床にひらりと
さくら一片

きみはどこで入ったの?
幼稚園前の桜並木、
それとも古い家の大木

Koisikawa0091_800 背中丸める寒さの中
きみを待ち続けていた
春といっしょに連れてくると

寄り添ってくると
楽しみにしていた。
置き忘れたの?

春風に髪がそよぎ
お久し振り、と
はにかむ笑顔。
連れてくるはずじゃなかったかい

Koisikawa0089_800 きみの命もあとわずか
きっと
芽吹きはじめた木々の緑が
きみの代役かな

4月 7, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月26日 (日)

固定的な関係に裏打ちされたものの見方

あなたなら、とっくにお気付きでしょうね。僕の居丈高な態度。傲慢不遜って誰も口にしませんが、バレバレですよね。

若い頃、子どもを集めてキャンプのようなことをやり、アルバイト学生を集めて宣もうとしていました。あの頃のことをご存じですか。自分の考えを表明していたっていうのは、前向きな評価ですね。
自分だって若いのに、少し年が若い、経験が足りないっていうだけで、説得しないと済まない態度。言い負かさないと収まらない言いぐさ。でも、あなたなら、見抜いていたのでしょうね。調子に乗って鼻高く、高飛車に相手をねじ伏せていい気になっていた高慢ちきの僕。もちろん、ご存じですよね、今だって変わっていない姿を。

人にはその人なりの論理があるんだって言う傍ら、君の論理のここが間違っているって。語気強く語りまくれば、その場の雰囲気は相手を圧倒し、制圧した感じで歓喜している。あなたのその考え方が問題なんですって相手が反論しても、逆襲に合い、僕の高圧的な考え方や態度が話題にならない。でも、あなたは醒めて、上から押さえ付けようとする姿勢に疑問を抱いていたのでしょう。

普段の話し振りやにが笑いで誤魔化しても、分かってしまうのでしょう。教えたり教えられたりが教育の原点なんていいますが、麗しい相互関係と高らかに顕彰できるのはほんの一局面。教えたり諭したりするものが内在的な考え方を変えないまま、上からものを言うという構造は変わらない。相手は教えてもらいたい、言って欲しい。立場が逆転しているわけでもない。そんな物言いの奥にある優越的な姿に自ら唖然としていても、変わらない現実的な力関係。言葉の魔術に翻弄されてしまっている我が身。固定化した関係こそ、その大元なのでしょうね。

あなたは知っていても、指摘する方法を持っていなかったのでしょうか。きっとそう。救いは高圧的な説教論理になっていなかっただけ。でもそれって買いかぶりでしょうね。せめて今すぐ態度や考え方が変わらないのであれば、あなたが先刻ご承知なように、そんな考え方に意識的であれってことでしょうね。

3月 26, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 4日 (土)

机の前で、動かず、食べず、飲まずの日々 - 僕の1日

気:君って、いつも不機嫌なんだって?
元:誰に聞いたの、そんなこと。なわけ、ナイナイ。

気:いけず、ウソ。オフィスじゃ、声掛けるの怖いって話じゃないか。
元:そりゃ、パソコンとにらめっこ、没頭しているから。1日中机に座って集中しているわけ、仕事に。わかる? そこに闇雲に声掛けられたら、思考寸断。頭切り替えるの手間掛かるってわけ。機嫌悪いって言ったの誰?

気:集中してるってわかるけど、そんなの続かないよ。
元:わかってないね。朝から夜遅くまで、本当に机の前。トイレだって、午前中1回ぐらい、午後2~3回、夜1回立つだけ。あとは席にいる。お昼だって食べ忘れる。昼どき、留守番兼ねて座ってる。お腹がすくのは、3時~4時くらい。でも没頭していたら、タイミング逃してしまう。5時前後にちょっと眠くなるね。夜はその調子のママ。1日過ぎるの速いよ。

気:人って自分のこと、誇張することあるよね。まして文句言われたら、言い訳も激しくなる。君ももっと素直になってみたら。
元:背中から見たら、きっと怖ろしいだろうなあ、自分じゃ見えないけど。高速回転の頭に急ブレーキって効かない。でも頭じゃ世界が広がっていて、いろんな人と話したり、笑ったり、ときに目頭熱くなったり。仕事しながらじゃ、涙見せられないからね、人が見ているし。急に笑ったり泣いたりしたら、それこそ変。

気:動かないなら、食べず飲まずってこと?
元:朝食べて、オフィスで一番にお茶入れたら、夕方までもつ。「おーいお茶」の1リットルペットボトル、枠にあるけど、3~4日かな空になるの。ランチはほとんど忘れる。食べず飲まずでも、出るんだねオシッコ。不思議だよ。もう干からびてるのに。

気:具合悪くならないの?
元:それが困るのは大。きっと水分取らないから、硬い。家じゃひと騒動。トイレ流れないんだ。そのときは誓うんだ。とにかく水分取ろうって。でもこれも忘れてしまう。それ以外は、いたって丈夫。

気:呆れてものもいえない。せっかく心配してあげたのに。
元:上機嫌さ、いつだって。

3月 4, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 1日 (水)

トラウマ 高所恐怖症

助けてと叫ぶ声。僕は走り出す、お爺さんの家から。あんな遠くからよく聞こえるもんだ。道を超え、杉畑を駆ける。植林中の畑の中、走っていいのかな。川に向かう脇の一本道を、大人も走る。待ってろよお。やっとたどり着く。そこは切り立った崖の上。細い道が崖に抜けている。崖っぷちを確かめながら、恐る恐る真下を覗く。眼下には水量満帆の広瀬川。崖の途中、細い枝が出ている。落っこちた人がいるようだ。捕まっていろよお、いま助けるからなあ、と大人の声。落ちた姿が見えない。さらににじり寄って覗く。もう崖っぷち。吸い込まれそう。だれって、さらに顔を出す。引き込まれるうー……。

っと、ここで目が覚める。いつも同じ夢。しかも怖くて震えている。小さい頃何度も何度も見て、すっかり忘れられなくなった。何度見たことか。場面場面は思いつく。5歳頃までいたお爺さんの藁葺きの家。お袋が作業していたと聞いた植林中の杉苗畑。崖っぷちの細い道と、それに続く広瀬川にかかる吊り橋。向こう岸の崖の中腹から飛び込み水泳している子ども数人。それを揺れる吊り橋の上から覗いて怖がっている。

きっとこの夢、高所恐怖症の原因。
スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア。登りは工事用と覚しきエスカレータでなんのことはない。登りがあるなら当然下りもあるはず。ところが、下りは一方通行。建築中の廊下を降りることになる。外が見えないうちは安心。ところが棟と棟を繋ぐ安普請の渡り廊下は縄ばしごのよう。下は真っ逆さま。震えて渡れない。引き込まれて落ちてしまいそう。下が丸見え。何とか渡った先の棟でも心は休まらなかった。今度はグルグル回る階段。手すりがなく、下が丸見え。壁際を階段だけを見つめ一歩ずつ降りる。足に力が入る。ガチガチだった。やっと降りたら、もう立てない。足の筋肉が突っ張っている。座ったままボーとしていた。あんな怖いこと、味わうとは。

3月 1, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月27日 (月)

無精に入れ歯

「あら、ずいぶんご無沙汰でしたね。右も左も、全部直しましょうね。それと歯垢も取りましょう」と諭すように降り注ぐ言葉。やっぱり。仰向けにされて無防備にアガーと口を開けているだけ。この態勢なら、何も抵抗できない。モゴモゴとうなずくだけ。ダメっていっても、きっとハイって思われてしまう。

無精って困ったもの。ガムをかんでいて、左奥歯のブリッジが取れたのが半年前。忙しいとか憂鬱とか、適当な口実をつけ延ばしに延ばした。左がダメなら、右があるさ。右下奥歯もブリッジ。そのうち右の噛み合わせも悪くなる。ついに左も右もダメ。もう歯医者に行かなくちゃ、でもグズグズ。さらに1ヵ月。歯医者に行ったときは、奥歯の代わりに前歯で噛んでいた。前歯って、噛み切ることはできるけど、噛むのは大変。平らじゃないんだ、もうアホ。

元来歯磨きは苦手。小学校までは何とか朝だけ磨いていたような気がするが、中学からはロクに磨かない。夜は夜で眠くなっているのにわざわざ目を覚ますこともない、と磨かず。学生の頃、歯ぎしりで歯が欠け、痛くて痛くて。でも歯医者に行かず、薬局で痛み止めで一件落着。痛みは止まっても、虫歯は進行していた。こんな無精の成せるワザ。

悪いことに右の奥歯は虫歯進行中。神経、取ってあるから抜きましょうね、優しくも残酷な宣告。ブリッジは役に立たない。奥歯2本なくなったら、ブリッジできない。入れ歯にしましょうね。えー、イレバー……、モゴモゴ。

昔の記憶。台所にあったコップの中。光沢のあるピンクに光った総入れ歯。異様な人工的な輝きを出す。おふくろのもの。えー、あれ入れるの。俺も年か、もう人生観念か。入れ歯ですか……。奥歯抜いたら1ヵ月はおかなくちゃ。その間左の治療ね。

入れ歯の型取った翌週。世の果てを覚悟して歯医者へ。この方向から入れます、試してみてください。鏡見ながら催促される。ウム……。そんなに奥じゃないです。ほら。涎の付いた入れ歯を出しては入れる。うまくいかない。ウグウグ……、何とか収まる。慣れるまでは少し痛いかもしれませんって。1週間経っても、まだ慣れない。食べると、どうしても左で噛んでしまう。こりゃまずいと右側でも噛む。カクカク、フガフガ。うまく噛めない。右側にガムが挟まった感じ。今頃になって、朝夜歯磨くことに。もう今頃じゃ、あとの祭り。

2月 27, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月17日 (金)

我流-目の体操

年をとったなぁと感じるシーン。いくつかあるけど、何といっても、目。年だなんて、口が裂けてもいいたくない年頃なのに、ついぼやいてしまう。ミーハーなとこ、アホ加減、軽やかな動き(?)、どこを取っても若い。イヤ若いはず。それだけが取り柄と豪語しているから、老眼だよ、なんて訳知り顔にいわれると、絶対眼鏡かけないぞ、と意地になる。若いんだぞぉーって。

とにかくボオーと三重四重になって、字の輪郭が危うい。普段はスッキリした輪郭、何も苦にしない。でもダメ。目を細めてどれどれと覗くから、目はショボショボ。いま目にしているこの説明書、とにかく字が小さい。人に読んでもらおうという気がない。小さい字を並べて、読めない人はいいよ読まなくて、って感じ。こんなのを1日中見ていたら、年に関係なく、ショボショボ目になるの当たり前。年のせいじゃない、はず。

さすがにショボショボ目では気も萎える。そこで、隠れて目の体操。目ん玉動かさない、焦点を変えずに見つめているから悪くなると、勝手な理屈を編み出した。朝誰もいないオフィス。お湯が沸くまでが、目の体操時間。眼球を左右にイチ、ニ、サン……と、二十まで動かす。ギョロ目。人が見たら、びっくりするはず。次は、上下。これも二十。ラジオ体操と同じ。今度はグルーっと時計回りに十回。これってクラクラすることがあり。フラッとして壁に頭ぶつけそうになったことがある。で、しっかり何かに捕まっている。さらに、逆回り。どれだけ効果があるかは不明。まあ、やらないよりマシって感じ。

木々の葉っぱをじっと見て、緑を浴びるのが疲れ目にいい、というテレビの受け売りで、歩くときは緑を見るようにしている。それと、運転。いつも焦点が近く、眼球の絞りも近いはずと思い込み、強制的に遠くを見るなら運転に決まりと。確かに目にはいいはず。家に帰って炬燵に入ると、目が重くなって寝込んでしまう。疲れりゃ必ず回復して、遠近がきくようになるはず。これって、屁理屈かな。二日ぐらい経つと、やたら目が重い。揺り戻しだろう。でも、翌日からスッキリクッキリ。鈍くなったんだね、回復が。やっぱりここでも、年か。

2月 17, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月10日 (金)

優しい想いと幻想関係

この前の朝、出勤しようとマンションを出たところで、ランドセルを背負った小学生が小走りに追い抜いて行ったんです。遅刻しそうなんでしょう。と、走りを止めて、ゆっくり歩き出したんです。もちろん、すぐ追い抜いてしまったんです。すると、急にまた走り出し、追い抜いて行って、それでまた走りを止めたんです。今度は道路の端から端を蛇行するようにノロノロと歩くんです。やっぱりすぐ追いついてしまった。で、ここで思いもかけないことが起こったんです。追い抜きがけに、「遅刻しちゃうよ、のんびりしてると」と声をかけてしまう自分を見てしまったんです。冷や汗ものですが、もちろん、声は出ていないのです。同じマンションから出てきた子だからかもしれませんが、見知らぬ子に声をかけている姿を思い浮かべ怖くなったんです。

以前なら、これじゃ遅刻するはず、と思ってやり過ごしたんでしょう。特に知り合いの子でもないし。それが、優しく声をかける言葉が出そうになっているんです。口を開けば、きっと声をかけていたかもしれないんです。見知らぬ子どもに気安く声をかけそうになっている自分がいるんです。

昨年、一昨年と、低学年の子どもが見知らぬ大人に連れ去られ、むごい目にあって、なんで気安く声をかけたりするんだろうと不思議で仕方なかったんです。でも、見知らぬ子どもとはいえ、近しい存在という思いが、つい声をかけてしまうという行動に出てしまうんですよね、きっと。以前なら、遅刻するんだなとよそごとのように見れたのが、声に出てしまうんでしょう。「遅刻しちゃうよ」って。

経験を積み重ねたり、何度も頭の中でイメージを広げていくうち、実際に遭遇する場面では、実際に声が出てしまうんじゃないかな。荒っぽいいい方をすれば、"普段の考え"という頭で考えている段階から、"内語で語りかける"段階に移り、そして実際に声をかけてしまう"発語"の段階に至ってしまう。1段階目から2段階目への移り変わりは、頭の中で経験する幻想の世界、流行りの言葉でバーチャル・リアリティーかなって感じなんです。子どもが可愛いと一般的に思っている段階から、具体的に接するイメージを持ってしまう段階に移ってしまうんでしょうか。

特に最近見知らぬ子が近しいと思った試しはないんだけど、道行く人の会話や電車の中でのいざこざに、以前ならわれ関せずで済んでいたはずなのが、ふとその会話やいざこざに入ってしまっていて、頭の中では内語で語りかけていたりするんです。ほんとにたまにですが。電車の中でふんぞり返って二人分の席を取っている人を見かけたら、前なら無視していたんだけど、「おいおい、もう一人座れるだろう」って声をかけそうになってビックリするんです。

おかしな話です。内語から発語って、そう遠くなさそうなので、厳しく戒めようっと。

Rimg0010_240 春近し、近くの公園の桜のつぼみ

2月 10, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)