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2006年8月28日 (月)

多数決で決まる分類概念・惑星

国際天文学連合の総会で決まった惑星の再定義。冥王星が惑星でなくなった。「さよなら冥王星」「惑星格下げ」と騒がれているが、冥王星がなくなったわけでもないのにこの騒動。
ニュースとして面白い。

でも、不思議だったのが、分類概念が多数決で決まるという、とっても人間的な有り様。惑星という分類について深く考えたことがなく、既知として惑星は9つだった。天文学的な根拠など不明でも、学校教育で冥王星は惑星だった。

最近の天文観測の進展で、惑星如きものが発見され、概念が揺らいでいたのだろう。総会前には惑星が増えるというニュースも流れていた。考えてみれば、分類を作り出し、星々を整理しようとしたのは人智。ただ宇宙を相手に分類しているので、客観的な分類と錯覚していた。実は基準があいまいな分類だった。そしてこれからも変わりうる、というあやふやなものだった、ということが知れ渡っただけ。分類が恣意的に決められ、それを鵜のみにして知識を組み立てていた、という当たり前のことがわかった。

冥王星が可哀相、とテレビのインタビューに応じたアメリカ女性がいた。犬や猫が可哀相といっているのに近い。石の固まりとしか言いようのない星に感情移入したこの表現には、主客転倒を感じて一見おかしかった。

でもこれは、知識や情報の成り立ちを明瞭に言い当てている。客体が主体と一体になって形成される情報。ここには主客図式を超える、ものの見方がある。客観的とみなされる情報が再構成され、主客一体的な捉え方の中に新たな意味を持つ。自明と思われるこの言い方は、客観的な存在なるものは、主体が生成したものということを明示している。主観主義と揶揄されるこの捉え方に、個人、自我、自己や、情報の権力性などを解き明かす糸口がありそうだ。

8月 28, 2006 ニュース, 日記・コラム・つぶやき |

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